タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

インタビュー 社会とは何か

f:id:hirokikiko:20170212233751j:plain

インタビュー講座の課題です。

 

社会とは何か 半分の性 

 

H・Kさん

プロフィール 一九四九年生まれ。山梨県甲府市出身。現在も甲府市在住。父の代からの家業である会社に勤めている。今年六月甲府市で『わたしの自由について〜SEALs2015〜』の上映会を主催。

 

 大学から東京に出て、当時四大進学率は男性で二〇パーセント、女性は五パーセントくらいかな。明治大学の仏文です。受験の翌年が東大入試がなくなった年で。ジェルジ・ルカーチにかぶれてたんだけど、美学は全部落っこちちゃって。サルトルも好きだったし仏文へ。でも、結局どこへ行ってもバリケード封鎖ですね。入って五月から、二年の終わりまで。やめちゃった人もいっぱいいましたよ。六十人のクラスで三十人やめたって、授業始まったときに聞いた。都内の子はまだ学費だけだからいいけど、私なんか生活費も親からもらってて。

 私は朝日ジャーナル読まなきゃ恥ずかしいってほうで、社会科学研究会ってサークルに入って。防衛庁とか羽田とか新宿とか、すごい数の学生が集まってた頃だけど、女性差別があったんですよ。女性はレポって言って、レポーター。先にちょっと情報収集ですよ。サークルはバリケード封鎖してる側だから。集会とか、サークルで集まるためにバリケードの中に入る。誰でも入れましたよ。乱交パーティをしている人もいたらしい。誰が尻軽だとか、噂してた。男の人のことは言わないんだよね。女はレポと炊き出し。あと喫茶店待機みたいなのね。機動隊とぶつかるとか怪我するとか捕まるとか、だから来るなって言われるの。喫茶店にいるのは、一応うちにいるよりも参加感があるから。

 七一年ぐらいには運動も下火になって。三年生になるとみんな就活始めて、女の人が少ないサークルで、男性はみんな何バタバタしてるんだろうって思ったら就活で、みんな公務員。革新政治が始まった頃だったから。今から間に会うのは東京都ぐらいだよって言われて、地方公務員、大学三年で中級が受けられるんですよ。それで受かったから大学やめちゃったんです。下の弟が東京に出てくるってときだったし。

 で、大学時代のサークルにいた人間と結婚したんです。その人は学年がいっこ上で東京都に入った。うまい具合に言いくるめられちゃって、就職するなら結婚したほうがいいんじゃない、就職してから姓が変わるよりって。それが半分プロポーズみたいな。向こうはヤバいと思ったらしくて。自分は都なのにこっちは世田谷区だから、結婚しないと取られちゃう的な?

 その頃はストライキで東京中の交通が止まる時代なんで。だから、東京都も組合は政治活動盛んでしたよ。今と違って、私鉄がストをかけるときは応援ストみたいなことをするとかね。公務員て基本的にはスト権ない。だけど、ゲリラ的にやってましたよ。ちょっとした集会とか。まだ社会党があった頃。都職労って自治労傘下で、リベラルなほうだったから。今じゃほんと考えられない。もう組合ないに等しいでしょ

 世田谷区に勤めていたのは七年半。七四年の十二月には上の子を産んでます。産休は十二週だったかな。当時の労働法の中ではマックスですね。それでも子供の病気で保育園から一ヶ月休めって言われたときは、母はリューマチで頼めないし。綱渡りでしたよ。夫が休んだり、こっちが休んだり。これでもうひとり生まれたらどうなっちゃうんだろうって。だから下の子を産んだのはUターンしたあと。姉妹で八歳離れてます。

 部署が変わって今から思うとマタハラなんだけど、その頃はまだハラスメントって言葉もない時代で、子供は二歳で、二重保育続けて小児結核になっちゃって。夫は私より先にやめたんですよ。三十になったら違うこと始めようと思ってたとか、そんなのそのとき初めて聞いたんだけど。やめて、髭なんか伸ばしだして。

 ハラスメントと夫がやめたのと子供が病気がちになったのと、父親が得意先で遠回しにもうあなたでは困ると言われたのが重なって、甲府に帰るって決めたときには、私の都合で夫の人生を決めては悪いから、別れるって言ったんです。夫は子供の具合が悪くても、まったく何もしてくれない。忙しいポストだったししょうがないんだけど、その頃の革新的な女子学生って性別役割分業拒否だから、すごい喧嘩したんですよね。そんなこともあって、来なくていいって言ったら、オレは家族じゃないのかって騒いで。でも、別れ話のさなかに、全財産入った財布をデパートのトイレに忘れてなくしたって言うんで、情けかけちゃった。しかたないなと。それが八十年だから三十一歳。

 社長を向こうにお願いしたんだけど、八十年に帰って、十年間は前年比十パーセントは売り上げが増えましたよ。思いっきりバブルですよ。ほぼ団塊の世代だから、バブルの先頭切ってますよね。崩壊して凋落していくのも。

 一回倒産して、作り直しました。それもありますね、離婚したのは。国がいちばん悪いですよ。青天井で貸したから。今も変なことやってますけどね。七千万までって言われてたのが二億何千万借りられた。国が悪いと県も真似するし、市も真似するってやつ。九一、二年までは気づかないで、その後どんどん悪くなって、二〇〇七年に整理して、八年に再建したのかな。別居したのが二〇〇二年で、一〇年に離婚。娘たちふたりがすごい私の味方をしてくれて、嫌がる夫を説得してくれた。

 何かしないと食べていけないし、従業員もいるので、できるだけ、得意先も仕入れ先も離れないように、払えるところは払って。元夫にはそういう能力はないです。営業もしないし、たたむこともしない。倒産させた当事者は社長にはなれないので、形だけ従業員の方にお願いして。実質私が社長やってるようなもんです。元夫は働き蜂。定時に来て定時に帰って、あー仕事したって飲むお酒がいちばんおいしいみたいな人で、その代わり会社の将来とかはまったく考えてない。それは自分の仕事じゃないと思ってるんでしょうね。

 だからずっとたいへんですよ、会社は。私はお客さんに会いにもいかないし、注文も取らないし、金勘定してるだけなんだけど、向こうは日常業務しかしない。たたむときも私が全部やったんだけど、銀行の相手って、日本の習慣で、こういう小さい会社だと女の人がやるんだよね。すごく珍しいらしいけど、先進国では。ただ、普段の銀行担当や経理は奥さんでも、いざというときになったらやるはずなんです。うちはそれもやんなかったわけ。

 SEALsの映画の上映会をやったのは、直接的には娘ふたりが病んだり、派遣切りされたりで。最初は私の育て方が悪いんじゃないかとか、どこの親もそういうふうに思うと思うんですけど、まあいろんな方の話も聞いて、個人的なことが理由じゃないと思ったんですね。個人的な親子関係の問題ではなく世の中の問題なんだと。

 上映会のメンバーは私と私が誘った人のふたりです。去年の九月、新宿のSEALsの集会に参加しようと甲府駅へ行ったら、北口の駅前で集会やってたんですよ。それであとで調べまくったんです。山梨でネットワークが欲しいじゃないですか、新宿行くより山梨が先だろうと。とりあえずいちばん入りやすそうなのは「安保関連法に反対するママの会@山梨」だなと。だから去年の九月からママの会の集会とか山梨のデモにも出るようになって、つながりもできて。

 小学生の飢えが六人にひとりだって聞いてますけど、息子や娘がクビになると、孫も含めて、誰が食べさせるかと言ったら親ですよ。本人はもう病んで眠れなくて記憶が飛んでるような状態で。使い潰しですよね。退職金も出ない、病院に行くのも自費、失業保険が出るまでは親が負担とか。やばいですよ。死の淵まで行っちゃうんですよね。うちの上の娘もそうだったし、下の娘もこないだそうなりました。ほんとタイムカード押さないで働くとか、サービス残業も当たり前だし。

 映画はアップリンクが配給元なんだけど、選挙前だとちょっと安くしますよって話で。選挙の応援をしたいって、監督の西原さんの意向があって。選挙は七月の頭で、それを知ったのが四月くらいだった。近隣の九条の会がやりたいって言ってるって聞いて、ヤバい、私がやらなきゃって思っちゃったの。商業的にも成り立たないと困るから、あんまり場所が近かったり、日にちが近かったりすると監督のOKが出ないっていうんで、先にやられたら、こっち断られるから。近くだったから。でも、あとで聞いたら向こうはジジイばっかりでめちゃくちゃフットワーク悪くて、なにを私はあせったんだろうって。

 映画の上映会やってる人からは準備に最低三ヶ月いりますよって言われて。まずは場所が取れないと話になりませんよね。公営のホールは土日祝日はもう半年前から埋まってて。決めたのは四月の末の連休に入る前。比較的安い民間の貸しホールを取った。フィルム代がいちばん高くて、あとホール代。それから監督とSEALsのメンバーを呼んだんです。牛田さんってヒップホップをやってる人。地元のヒップホッパーと即興のライヴもやってもらおうと。謝礼は払わないけれど、交通費とご飯代くらいはね。結果的に、その日のうちに東京に帰れないこともわかったんで、ホテルも取ったんですよ。ちょっとそこらへんが余分かな。諸々の経費全部とチケット収入を相殺して、主催者ふたりで数万円の持ち出しですみました。四十人でいっぱいのホールで二回やったんですよ。ほんとは何百人って集めたかったけど。結局八十プラス予備の席十四で九十四。満員になったんです。おかげさまで。

 何がうれしかったって、私たち主催者ふたりとゲストの監督と牛田さんと地元のヒップホッパーとのフリートークになったときに、誰も帰らなかった。質疑応答もあって、それが盛り上がっちゃって、盛り上がっちゃって、八時四十五分には出てくださいって言われてたんだけど、九時までやっちゃったという。

 やっぱり奥田さんとかSEALsの言葉は胸に突き刺さるんですよ。義を見てせざるは勇なきなりって言ってますけど、これなんかは私なんか十分感じる世代なんで。あと、全員って言っていいぐらい、三つくらい奨学金もらってるんですよ、彼らは。で、奥田さんなんかのいじめられた経験はちょっとすさまじいんだけど、ありとあらゆるいじめの博覧会みたいな。だから言葉が突き刺さるんだろうと思うけど。本当の言葉、そのまんまの言葉でしゃべってるから。それが決断力にはなったかな。この人たちだけにしといちゃいけないだろうって。これも彼らの言葉なんだけど座視、座って見てるだけの人間っていうのは、僕らは軽蔑しますって。普通に喋る言葉がすごいまっとうなんだよね。

 私にとって社会は、一応私、半分の性じゃない、女性という。男性というもう半分の性があって、わかってるつもりでもわからないんですよね、男性という性については。六十数年生きてきた経験値の部分ではわかるけど、半分わからないって意味ではまだおもしろいなって思うんですね、世の中に対して。未知の部分があって。悲観することも楽観することも半分の自分の中でしか知り得ていない部分で、こうだろうああだろうって断定できない分まだおもしろいところがあるだろうって。働きかけた場合に予測できないような手応えが返ってくることもあるかもしれないなと。

 幼なじみで大学で再会した男の子が、ウーマン・リブっていうのがアメリカで起きてるよね、これからおもしろくなるよねって言ったの。全共闘が下火になっても、またおもしろいんじゃないウーマンリブでって。男の人でも女が変わって世の中おもしろくなるなって思うんならば、今度、男が変わればまた女も変わる。当たり前ですよね。

 反権力闘争みたいなことをやる人はみんな言ってるんだけど、ひとりじゃないよねって。ひとりなら自分の力が尽きれば尽きちゃうけど、自分がやってればまたやり始める人もいるだろうし、自分がお休みしてるときにやってる人もいるだろうし。やってらんねえよな、そう思わなきゃぐらいの話なんだけど。あと、私たちはまじめっていうか、多面体の多面度が足りないと思う。さっき義を見てせざるは勇なきなりなんて言っちゃったけれども、大義ってなくてもいいんだよね、別にね。なんかおもしろそうなことをやってる感じのほうが。ごまめの歯ぎしりでもいいと思ってるのよ。上映会のときすごく支持してくれた方に、期待はしてないかもしれないけど、このままだとちょっと申し訳ないかもしれないってのはあるけどね。ただ、大きくならなきゃいけないってことはないし、よくならなきゃいけないっていうのでもないし、もしかしたら私じゃなくてもいいし、というふうには思う。

 母親とか女って立場もあるんですよ。子供が直接の契機で子供とSEALsがオーバーラップするとこもあるから。今、食えない子供を親が食わしてる。年金世代でも食わしてるのに年金下げるって話で。孫が食えない、飢えるってヤだよね。私何がいちばんやりたいかっていうと子供食堂ですもの。災害ボランティアとかだと配りっぱなしだけど、子供食堂だと親もいて、地域にも根ざすし、人間関係のネットワークもできるだろうし、そういうコミュニケーションっていうの? 年寄りの海外ボランティアもいいけど、地元がやばいじゃんって。シャッター通りどころじゃない、限られた繁華街がさびれてくなんて程度の話じゃないんだから。

 こんなひどい世の中のまま、子供たちに未来を渡すことに、ほんとうに済まないという思いが、心の底にあります。いろいろしてきてなかった、自分への怒りでもあります。

 

 インタビュー講座が今期からライティング塾に変身してしまいました! 1年かけて1冊本を書くそうです(笑)(他人事かっ!?)。なんだか知らないうちにマラソン大会にエントリーしてしまったみたいだ。でも、今後もインタビューも続けていきたいなあと。まずはFさんのロング・ヴァージョンだ!

世界の果てのこどもたち

世界の果てのこどもたち

 

先月の塾の課題です。

 

言葉と戦争

 

  たとえば登場人物のしぐさひとつで、すっとキャラクターが立ち上がるような、そんな小説があるけれど、中脇初枝『世界の果てのこどもたち』(2015年 講談社)は違う。なんというかもっと、よく言えば親切、悪く言えば説明的。児童文学的、なのかもしれない。わかりやすい分、余白が少ない。

 本作では出自を異にする同世代の3人の少女の戦中戦後、文字通り波瀾万丈の人生が描かれる。その軸になるのは〝言葉〟だ。朝鮮人の美子は皇国臣民となるべく自ら進んで朝鮮語を捨てて日本語を学び、戦後日本へ渡ってから、在日としての誇りを培うため母語を学び直すことになる。日本の寒村から満州に渡った珠子は引き揚げの混乱の中さらわれ売られ、生き延びるため、中国人養父母の愛情に応えるために、記憶から日本語を抹殺する。横浜の裕福な家庭に育った茉莉は空襲で家族を失い辛酸を舐め、ひもじさの中で「ギブミーチョコレート」と叫んで、鬼畜米英が実は憎めぬ<ハローのおじさんたち>であることを知る。

 ふたりの教師も印象的だ。ひとりは満州の学校の鈴木先生。<朝鮮人だったのでときどき日本語を間違えることがあり>、子供たちに笑われても屈託なく<「先生も一生勉強します。きみたちと勝負します」>と言って、生徒たちから愛されていた。もうひとりは美子が日本で通った朝鮮学校の日本人教師で、<赴任当初、谷口先生は朝鮮語が全くわからなかったのに、何週間かすると、子供たちが朝鮮語で吐いた悪態を叱り、朝鮮語で板書をするように>なって、<「先生だって、みんなと同じだ。知らないことはなんでも勉強しなきゃだめなんだよ」>と、これまた当然大人気。あまりに相似形で小説だもの感が漂ってもしまうけれど、慕われる教師ってこういうものか、とも思わされる。

 そんなふうに感じるのは、私が年末から突然個別指導塾で働くことになって、100%正解の人でないといけないプレッシャーにさらされているからかもしれない。その上、英語を教えれば「英語なんかいらいない。日本から出ない」と言われ、現国の入試問題にブチ切れた受験生からは「日本語なんかいらない、意味ない、何の得もない。英語にしちゃったほうが便利」と言われ、「母語を失うことは文化をそっくり失うことだよ」なんて言っても「はあぁ?」で「いらんわ、そんなもん」でとっさの応戦敗北。

 日本語を捨てることでしか生きられなかった珠子が、中年になって中国残留孤児として日本に帰国し、日本語を学び直す、その一生かかっても学び切れないという切ない思いを、現国に怒る受験生にも知ってほしい今日この頃です。 

 

 たとえばつぶさに描かれる〝引き揚げ〟の実態など、読み応えたっぷりの小説なのですが、一方で、もうそのおにぎりの話はいいよ、と言いたくなる安直さ(読めばわかります。むしろこの〝おにぎり押し〟に感動、の人も多い)や、なんで〝世界の果て〟なんだ?(失礼ちゃう?の意見あり)、あの終わり方はなんだ? などなどの疑問も。

 

トルーマン・カポーティ年

Too Brief a Treat: The Letters of Truman Capote (Vintage International)

写真探してて見っけ。この本も読みたいなあ。

 

去年の12月の塾の課題です。お題は「今年の1冊」

ひょんなことから人生でいちばん忙しい年末年始を送ることになり

ブログもなかなか追っつかないのでありました。

 

 

トルーマン・カポーティ

 

  去年の秋に天涯孤独となって以来、身に余る不幸に肩まで浸かり、ぼんやりしていた。1年で150冊近くの本を読んだ。そんな中のたった2冊なのだけれど、今年は私にとってトルーマン・カポーティ年だった気がする。

 5月に“Capote : a biography ”Gerald Clarke, 1988(注1)を読了した。まだふたり家族だった頃から、寝る前に少しづつ読んでは、スマホを手にしたまま眠っていた。(電子書籍です。)700ページ近くある本をちびちびと半年以上かかって読んだので、読み終えた日にはなんだかカポーティと死に別れたみたいだった。カポーティが抜けなくて、そのまま深夜に“Music for Chameleons”を読みだした。30年以上も前に買ったペーパーバックで、紙も茶色く変色している。こちらは翻訳も普通に入手可だ。(注2)

 カポーティの人生は華麗と悲惨が交錯している。華麗な才能、華麗なキャリア、華麗な人脈の一方で、悲惨な幼年時代、悲惨な恋愛関係、悲惨なアルコール・薬物中毒。妖精さながらのアンドロギュヌスは、チビ・デブ・禿げのゲイとなり、大ベストセラー作家から書けないアル中作家に転落して、30年来養ってきた恋人にも愛想をつかされ、最後は消え入るようにこの世を去った。

 <神が才能を授けるときには、鞭も手渡す。そしてその鞭はもっぱら、自分を打つためのものなのだ。>『カメレオンのための音楽』の序の一文は、〝天才〟と呼ばれる者の生の残酷を端的に突きつけてくる。

 生前最後に発表されたこの作品集は、カポーティのエッセンスを凝縮した一冊だ。自らの文学的人生を回顧した「序」は格好のカポーティ文学ガイドだし、最初の6編はモーパッサンを彷彿とさせる〝うまさ〟の際立つ短編。次に代表作『冷血』のノンフィクション・ノベルの系譜に連なる中編「手作りの棺」。連続猟奇殺人事件、主人公の刑事の尋常でない巻き込まれっぷり、そこに取材者としてずぶずぶクビを突っ込んでいくカポーティのありようと三拍子揃って、どこまで事実なんですか〜小説より奇なり過ぎ〜、とシャウトしたくなる。

 そして最後に〝耳の作家〟カポーティの面目躍如の「会話によるポートレイト」7編。恩師の葬儀の日のマリリン・モンローをスケッチした「美しい子」は、モンローの危うい美しさをそっとすくい上げた絶品。ノーメイクで12歳くらいに見えるマリリン(当時29歳)を、誰もが好きになってしまうだろう。また、セレブ好きカポーティの意外な一面を示す「一日の仕事」では、黒人掃除婦の仕事ぶりをレポートするのだけれど、なにかといえばマリファナをキメちゃうおばちゃんとの珍道中、決して対セレブだけでない、カポーティの人の懐への飛び込み力を堪能できる。

 野坂昭如の翻訳に関しては、ご本人が「訳者あとがき」の結びで <どれほど拙劣な訳でもカポーティはおもしろい> と断言している。究極のカポーティ礼賛、かもしれない。

 

 

注1: 翻訳は『カポーティ』ジェラルド・クラーク著 中野圭一訳 

文藝春秋社 1999年 アマゾン・マーケットプレイスなどで入手可

注2: 『カメレオンのための音楽』トルーマン・カポーティ著、野坂昭如訳 

ハヤカワepi文庫2002年

料理の旅人の旅人 第1回 コート・ドール あとはほうじ茶でも飲んでいればいい

f:id:hirokikiko:20160911125448j:plain

絶品鴨

 

『料理の旅人』に登場する料理店を巡ろうと、料理の旅人の旅人、ユニット humu を結成しました。humuの活動は〝食べに行く〟です。

 

料理の旅人

 

 

しかし、第1回は『料理の旅人』に登場するお店ではありません。

旅の出発は『料理の旅人』の原点とも言うべき『調理場という戦場』、斉須政雄さんのコート・ドールです。高級フレンチゆえランチですけど。わくわく。

 

調理場という戦場 ほぼ日ブックス

 

螺旋階段フェチにはうれしいお出迎えから始まって。

 

f:id:hirokikiko:20160911115802j:plain

 

hu 初めにマンションがあまりにでかくてびっくりしました。 高級レストランがね、あんな何百人も住んでるようなところの下にあるのが。

mu 商店の通りとかに面したマンションで、1階にレストランがあるとかなら想像もついたのだけど、あんな閑静な住宅街の中にあるなんて、知ってて行ったのに、びっくりしましたよね。

hu 私いいフレンチって、すごくいいとこってほかに1回くらいしか行ったことないんだけど、なんていうんだろう、ああいうところへ行くと気が張って無理、もの食べた気がしないとかって発想っていうのは誰しもあるじゃないですか。やっぱちょっと緊張しちゃうなみたいな。でも、あそこってとにかく接客が、当たり前っちゃあ当たり前だなんだけど、お客さんをリラックスさせるというかすごい行き届いて。あと、お店にも人にも、これ見よがしなところがひとかけらもない。

mu そうそう、さりげないけどちゃんと見ていますよ、って感じで。「やってるぞ!」じゃなくてね。

hu うちは高い店でございますわとか、お金をかけてますわみたいな感じが全然なくて、すごい落ち着いてて。あとで近所の友だちとしゃべってたときにその人がすごく言ってたし、本読んでてもやっぱりそうなんだけど、結局ね接待費で湯水のようにお金を使う人が使う店じゃないんだよね、昔から一貫して。

mu それは、三田という場所柄が?それともお店のあり方が? 

hu お店のあり方だね。やっと安定して人が来るようになったのがバブル超えてからなんですって。だから本当になんていうかフレンチで何万も何十万も使って接待するのが当たり前みたいなすごく上滑りなとこのお店じゃなくて、やっぱりちゃんと身銭を切って自分のお金で美味しいものを食べに来る人たちが来て成り立っているお店なんだなって感じはしたよね。

 

f:id:hirokikiko:20160911135005j:plain

 

 

mu それと、フレンチっていうと「こってり」のイメージがあるけど割とあっさりでしたね。もちろん美味しいには美味しいくて、素材の味が出てる美味しさというか。なんでもクリーム味になるのではなくて。

hu 本にも出てきたんだけど、年齢とともに、フランス人にしたって、若いときはみんなギラギラしたものが食べたいけど、だんだんだんだん体にやさしいっていうか、ソースとかもこってりではなくなって、自然と素材の味をみたいなことになっていくって話で。料理人も当然その人の年齢とともに変化していって、お客さんも育っていく。だから若い人があそこへ行ったら物足りないとかもあるのかもしれないけど。

mu だから塩とか胡椒とか置いてあるのかな。テーブルに塩胡椒が置いてあるの、ちょっとびっくりしましたね。

hu びっくりした。それこそ食べログとかで塩が足りないとか言ってる人はいたけども。

mu そもそも「フレンチ」のイメージ自体が間違ったっていうか、偏ったものが私たちの頭の中にあって、それとは違ったってことかな。こってりしてて接待で使うみたいな、そういうイメージがあったけど、そこをちゃんと打破してて。

hu ただ一応、ヌーヴェル・キュイジーヌ系ではないというか、王道フレンチではあると思うんだけどね。系列的に言うと。そのへんもいろいろ行ってみないとわからなところもあるけれども。

mu 昔マンガで『美味しんぼ』に、フランス料理は生クリームとかソースの部分がキモだから、日本の普通の牛乳だといい味は再現できないのさ!みたい話があったんだけど、でも、その手のこてこてしたものはなかったですよね。

 

 

f:id:hirokikiko:20160911121241j:plain

 

hu クリームが入ってたのは最初の赤ピーマンのムースだけだと思うけど、あれはたぶんクリームはけっこう入ってると思うんですけど、ソースがすごくあっさりしていて酸味もあるからそんな重い感じは……

mu そうそう、全然重くなかった。

hu むしろどんだけ裏ごししたらこんな滑らかになるんだろうっていう。

mu はじめにびっくりしたのはそこですよね。

 

huはここでシャンパンをいただいております。

 

 

f:id:hirokikiko:20160911122023j:plain

 

hu 野菜の全部に合った火の通し方。硬さがそれぞれの種類で全部最適の硬さになってる。

mu ああ、そう言われてみると確かに。いっしょくたに煮ているのじゃなくて、たぶんそれぞれで作ってお皿にならべてるのかも。

hu か、あるいは時間差? お出汁は全部のお出汁が出たほうがいいだろうから。でたぶんあれ、エチュベって言って、ほとんど水入れないでやるやつじゃないかと思うんだけど、蒸し煮に近いような。たまたまかりって歯で割った粒胡椒の美味しさが鮮烈で。なんかふあってはじけて野菜の味と一緒に広がって。あと、ひと切れしか入ってないトマトがめっちゃいいトマトだったね。トマトの皮を食べないことで有名な私が思わず食べてしまった。

mu えっ、そうなんだ、トマト苦手なの?

hu トマトは好きだけど皮は嫌いっていう。だから、ひとりでミニトマト食べるときでも剥いてます。

 でも、今度コート・ドールに行く機会があって、もし私がトマトの皮を残したら叱られるのかなってちょっと考えてしまいましたが。(笑)ほんっとうにいいトマトだったね。

(後日、皮を剥いたら煮崩れるから剥かないのかも!と思い至ったhuです。) 

 酸っぱいのがふたつ続いたのも意外だったけど、酸味が違うから、そんなに気にならなかった。

mu マイルド酸味と素材の酸味かな。あれよかったですよね。

hu あんだけやっぱりガーンと野菜だけのものが来るっていうのも意外だったよね。

mu サラダっていうと葉っぱがひたひたみたいなのが多いですけど、あれ温野菜っていうんですか。

hu あれもある意味お店の売りみたい。斉須さんいわく、こんなの家でも作れそうと思って。

mu いやいや思わない。

hu 私たちは思わなかったけど、でも、私もじゃあうちでやってみます、とか言って、うちでやったらみんなぐじゅぐじゅになっちゃったわとかって 言ってくる人が多いみたいで。

mu うちでやったらスープになっちゃう。でも、家でも作れそう、って思わせるところが微妙にいいところなのかな。

hu 作れそうで作れないものっていうかね。

 

f:id:hirokikiko:20160911125442j:plain

hu で次が、忘れじの鴨。

mu 鴨すごかった。

hu 鴨すごかったねー。

(huはソムリエのお勧めに従い、グラスでマルサネをいただきました。味付けが濃厚じゃないので、本当によく合いました。) 

mu 柔らかくてねー。

hu あの血の味がしないのがすごくて、なんかもう鴨が食べられなくなりそうな気がする。あの鴨が食べたい〜もうほかの鴨じゃイヤ、みたいな。(笑)

mu 私もこんな赤い鴨は食べたことがなかった。レアでね。今まではもうちょっと焦げ目がついてカリカリしてたような。血の味もしないけど、こうやって赤いっていうのは、ほんとに初めてでびっくりしました。

hu 友だちが言うには、下処理とかそういうことじゃなくて、まず鴨自体がものすごくいいんだって。すっごくいい鴨だと血の味がしないんだって。で、なんとか産とかって説明されてたなって記憶はあるんだけど。

mu 録音しとけばよかった。すっかり忘れていました。

hu 一瞬言われてもねー。

mu いっつも困るんですよね。わからないフランス語で。

hu 知らない地名とかね。

mu かぼちゃがついていて。

hu かぼちゃさ、ちょっと粉振って多めの油でソテーしてるみたいな感じだったんだけど。あと衝撃が、ソースが甘くない。鴨ってたぶんほとんどのところではもっと甘いソースにすると思うんですよ。それが鴨のローストであんだけ甘くないソースっていうのは、だからほんとにあっさりしてる、けど、それだから甘いかぼちゃが美味しい。

mu 引き立ちましたよね。

hu かぼちゃすごく美味しかったね。

mu 美味しかった、美味しかった。 このかぼちゃだけ出してくださいってお願いしたい位に、私はあのかぼちゃラヴでした。もっと食べたかった。いいかぼちゃでしたね。

hu いいかぼちゃだと思う。もちろんお料理の仕方も上手なんだろうけど、いい甘みの。

mu ほくほくしてね。こっちは玉ねぎ?

hu 玉ねぎをよく炒めたものにベーコンがちょろちょろと。

mu ベーコンとこのかぼちゃとの相性もけっこういいってわかったのが大発見。

hu 玉ねぎの甘みと、ソースはやさしく。でも、ソースはほんと塩気ぎりだったよね。

mu 私なんかは、もう少しこてこてした方が好きだから、あとちょっと塩味が足りなかったらお醤油が欲しいと思ったかもしれないそのぎりぎりなところで。すごくバランス良く美味しかった。

hu 綺麗なお味というか、これだからペロリと食べられるという。だから、あんまり量たいへんという感じはなかったですね。

mu ほんとこれはもう一回行きたい感じですね。

hu きれいに食べてくださってありがとうございますって言われたよね。

mu きれいに食べるの当たり前だよね。

hu こんな美味しいものなのに。

mu 一滴だって残してたまるかって感じ。

hu・mu もったいない〜

mu パンがもう一切れ出てくれば、このソース全部すくって食べたぞ、みたいな。

hu もらってよかったのかも。コーヒーもね、お代わり自由だったのですね。

mu みたいですね。たいていいつもああいうときに足りなくなって、もう一杯とかやっちゃうんだけど。 美味しかったですね。

hu よみがえりますね。

mu ひとりは魚で、とか言わないでよかった。ま、魚は魚で美味しいだろうけど。

hu 食べてみたいけど。  私は魚、私はお肉で、分けたいんだけどって言うと、盛り分けてきてくれるところもあるみたいだけど。

mu お行儀的にはよろしくないんでしょ。

hu 基本的には。私たちって分けるの好きじゃん、みんな。いろいろ食べたいというか。でも、向こうの人はあんまそんなことはしない感じみたいで。あとあれだよ、元々はあの人たち両方食べるんだもんコースで大食いで。

mu 日本人だけかな、メインは一個だけとか言ってるのは。胃袋のサイズのせい?

hu そうだよね。羨ましい。

mu 羨ましいよね。

hu お金かかるけど。

 

 

f:id:hirokikiko:20160911133346j:plain

 

hu で、デザートへ。

mu お豆さんがね。

hu おもしろかったね。甘くないのを添えるっていうのが。

mu 甘くないけどほっくりしてて。チーズケーキもふかふかしてましたね。

hu 肉だけだからソルベがなかったんですね。

mu そういえばなかったですね。魚も頼んでたら来たのかな?

hu たぶん魚のあとに来るとかの順番なのかな。ちょっと間違ってるかもしれないけど。フレンチのソルベってすごい美味しいから、実は期待してた。

mu じゃ魚も肉も頼んでいたら、ソルベついたのかな。

hu アラカルトでとっていたりしたら?  なんとかしてソルベを食べようとしてる(笑)。それだったらソルベを頼めばいいじゃんか。

mu そうだったですね。(笑)

hu そんな手もあったね。 友だちにメニューはメニューは出てこなかったの? とか言われて、あ、出てきたよー、えー、何があったの? あ、ちゃんと見てなかった。なんでちゃんと見ないんだよーって言われて。

mu 写真撮れる雰囲気でもなかったしね、メニュー。お店の人の前でちょっと失礼とか言って。パシャとかできないし。

hu なんかスパイみたいだよね。

mu そう。産業スパイだよね。

hu そうかでもあれ手書きっぽかったよね。じゃあ、斉須さんの字だったのか。もっとちゃんと見ればよかった。

mu ああいうメニューって、素材の名前とかカタカナで書いてあってキラキラしてて、まぶしさのあまり思考停止しちゃうっていうか。

hu あと、もうフィックスで食べるって決めてるから、ほかに美味しそうなもの見てもなあってやさぐれてしまって。

mu 欲望がぶああって全開になってしまう。

hu それはありましたね。でもねえ、食べたいね、ソルベ。

mu 食べに行きたいですね。もうこんなことを言って。まだ1週間しかたってないというのに。

hu ほんとですね。あっという間ですね。

mu ケーキも美味しかったですよね、ふんわかしていて。これはちょっとオーソドックス。でも、これとお豆さんと合わせるところが。

hu そのお豆さんはすごい気になる存在でした。

mu なんて言ってたっけ? なんか言ってたよね。

hu まあ言うよね。

mu 見たこともないよね、こんなの。

hu うん、だから、よくあるお豆さんが巨大化してる。

mu そら豆みたいのなら見たことあるんだけど。黒というか紫に近いのは初めて見た。あれってたいへんだと思うんだよね、あんなふくふくにするのは。

hu 黒豆の煮方みたいなもんでしょ。

mu そうそう。ちっちゃい黒豆だってさ、きれいに炊くのすっごい大騒ぎしてるんだよ、うち毎年。お節で炊くんだけど、皺寄ったり、なんだか美味しくなかったりして、すっごいたいへんなのに、あんな大きな豆でふっくらにするなんて一体どうやって。

 

 

f:id:hirokikiko:20160911134955j:plain

 

hu で、次がコーヒーと焼き菓子。

 驚愕のマカロン。マカロン美味しかったですね。なんか普通のマカロンと違う感じがした。そうでもなかった?

mu いやそんなにマカロン食べつけてないから、何を普通と呼んでよいのかと。たぶん、生涯でマカロンね、5回も食べてない、私。

hu そういうふうに言われると私もたいして食べてないんですけど、これけっこうどっしりしてませんでした? マカロンってもうちょっと、口に入れるとすっと溶けていくみたいな感じがあるんだけど、この人もうちょっとどっしりしてて、でも私の好きなカラメル系の味で。

mu そうね、このマカロン、和菓子の最中で言うところの外側の皮が、へたんとしてるものかと思っていたんだけど、ここのはへたんとしてない。へたんとしてなくて、けっこう実がしっかりある、みたいな感じかな。

hu しっかりしてましたね。で、フィナンシェ。

mu フィナンシェ、おいしかったね。

hu もうコーヒー来てるのにお行儀悪いのかもしれないけど、呑兵衛はこれで赤ワイン2杯くらいいける。赤ワインと甘いものって合うので。あのナッツのコーティングしたやつとかは、もう一杯ワイン飲みます?って言ってるような気がしたけど。

mu そういうときワインは頼まないのもの?

hu どうなんだろ、コーヒーになってからまだ飲む人いるのかな?

mu このナッツも美味しかったですね。こういう細かい技があるのがやっぱフレンチなのかなって。

hu デザート食べたあとなのに、またコーヒーに甘いものも出してきて、本来ならあの人たちはこれに魚も食べ、オードブル的なものももう1品くらいいくのかな。なんかすごいよね、すごい胃袋だよね。

mu そういう強烈な胃袋を持ってるから、なんかフランス料理とか食べつけてると獰猛になってくるみたいな表現がどっかにあったじゃないですか。

hu ああ、肉食の人たちだから。

mu 羨ましいっちゃ羨ましいんだけどね、馬力が違うってことでしょ。

hu よかったですね、王道フレンチ。

mu 美味しかった。

hu 経験してよかったというか。

mu 味だけじゃなくて、お店の人の雰囲気とか、庭も含めて環境とかもね。お客さんがリラックスできる環境をよく考えてるなあと。 トイレに行ったときも、「まだ空いてないと思いますので、そこにお掛けください」って椅子をすすめられて、しかも「あなたの出てくるのをお待ちしていました」って感づかれない位置に椅子があるから、出る人はまあのんびり出てくるわけですよ。で、その後ろ姿で空いたとわかって、さりげなく入れると。

hu そうだよね。今入ってらっしゃいますって言われて戻ったら、先に別の人が行っちゃってってこともあり得るわけだし。さすがだね。

mu 考え抜かれた配置。

hu 毎回、そこ段差がありますのでお気をつけくださいとか、あの人たちにとって当然のことなんだろうけど。あと、店を出てちょっとふたりで喋ってたら出てきてくれて、どちらへお帰りになりますかって道を教えてくれて。

mu あの喋り方とか勉強させてもらいたいくらい。録音して。

hu なんか、あの人好き。あのソムリエの人が好き。

mu 来るときも「どーこー?」って、うろうろしてたら、お待ちしておりましたって入り口を開けてくれて、ああいう気の回り方もすごいよね。

hu お店の入り口自体も重厚感はありつつもこれみよがしでないというか。これ見よがしでないが一貫してる。

 

すごくつらいことがあったときには、少しお金はかかるけれど、コート・ドールでランチすると癒されそうです。

本当に良質なサービスというのは人をリラックスさせ、料理を堪能できる空気を作りだしてくれるものなのですね。

特別おいし〜いものを食べたあとは、めったなものは入れたくない。

で、とりあえず、ほうじ茶飲んでます。

 

料理と花の写真は mu さんです。

朝鮮と日本に生きる

朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ (岩波新書)

 

塾の課題でござる。

おお、金時鐘、来た〜、だったのだけれど……。

以下 ↓ 提出したものです。

 

油膜

 大学時代に朝日選書の鼎談本『差別 その根源を問う』(上・下)を読んで(今も絶対にうちのどこかにあるはずなのに発見できず)、安岡章太郎の飄々としたホストぶりとともに、ゲストでは金時鐘の印象が鮮烈だった。どう鮮烈だったのかは記憶の沼の底だが、安岡章太郎の小説と金時鐘の本(なぜか〝詩〟とは思わなかった)、読むぞと心に誓い、流れに流れた歳月。今回の課題『朝鮮と日本に生きる——済州島から猪飼野へ』でついに時鐘さんの宿題果たせる、と喜んだのだけれど……。

 時鐘氏はまず、玉音放送に身を震わせた済州島の皇国少年として登場する。被侵略国に皇国少年!しかも、かの時鐘氏が、と驚いていると、子供ばかりではない。朝鮮人教員にも<めったやたらと平手打ちを喰らわせる猛烈な大日本帝国教員>がいる。侵略国日本に積極的に協力して利権を漁る者もいる。〝植民〟という言葉、改めて見つめると字面もえげつないが、人の心に浸食し、根を張るさまは苛烈だ。

 日本敗戦により朝鮮は〝解放〟され、皇国少年時鐘は愛国左翼少年に変貌して、党の活動に奔走。〝四・三事件〟で警察に追われる身となり、密航によって日本の大阪に漂着。ここでもまた民族闘争に身を投じ、詩を書き、朝鮮総連と対立する。

 即ドラマ化できそうな劇的人生。これがなぜか染み入ってこない。薄い油の膜でも張っているかのように、何かがそっと押し返される。

 本書を読み始めると、まず隣国に対する自分の圧倒的な無知に恥ずかしくなるのだけれど、油膜の正体はこれだろうか? たとえば四・三事件に関して、渦中の時鐘氏の〝虫の視点〟だけでなく、私が鳥瞰図的な知識や視点を持っていれば、油膜は溶解して時鐘氏の世界が心に流れ込んできたのか。

 いやむしろ、<悲哀とは / 山に包まれた脱糞者の心である。>と綴る、長編詩『新潟』に向かうのがいいのか。脱糞詩のタイトルがなぜ新潟?という疑問への答えは、本書の終章で明かされる。<朝鮮半島を南北に引き裂いている分断線の三八度戦は、東へ延びれば日本の新潟市の北側を通っています。>北朝鮮帰還事業の船が新潟から出航していたことはぼんやり知っていても、<地勢的には新潟を北へ抜ければ「三八度戦」は越えられる>なんて、日本人からは絶対に出てこない発想だ。少なくとも地理音痴の私からは出てこない。<ならば越えてどこへ行くのか? 究極の問いつめが三八度線を越えた私に残ります。> そうか、越えた先のことも考えなきゃいけないのか。むむむ。<『新潟』は生きのびた日本で再度日本語に取り付いて暮らさなくてはならない私の、<在日を生きる>ことの意味を自身に問い続けた詩集>。脱糞は油膜を突き破るか?

 この読書、油膜と新潟が、残った。

 

 こういう新潟の使われ方って、新潟の人はどうなんだろうという疑問があったのだけれど、先生が新潟のご出身で、やはり「そこに住んでる人間もいるんですからねぇ」と、新潟県民的には微妙なようです。

 

 どうも最近、作品に潜れてないなあ。

 受講生のYさんの「この人はアイデンティティ活断層にいるようなもので、震度7が2回来たあとに、逃げた先が放射能汚染みたいな」、Uさんの「親戚のおじいちゃんの話を聞いているみたいで、とりとめがない分生々しい」という指摘になるほどぉ〜と。

 

トーマス・ルフ展

f:id:hirokikiko:20161113135128j:plain

巨大ポートレート・シリーズではやはりポスター等々になっている作品がいちばん強いと思うのだけれど、せっかく展覧会へ行ったのだし、しかも太っ腹の写真OKなので、ここは敢えて違う作品で。

 

友人絶賛のトーマス・ルフ展。まったく知らない人だけど、行きたい気がするな〜ぐずぐずのうちに本日最終日。今日も今日とてベッドでぐずぐす。なぜか11時53分、これから一時間ほどで家を出て、トーマス・ルフ展へ行くのだと決意する。

大昔、父と祖母と一緒にエルミタージュ美術館展だか韓国美術の至宝5000年展だかに行ったときに、しつこい!とあきれられた私である。鑑賞時間はたっぷり目にとっとかんと。

体重測定、ストレッチ5種、死亡したが魂は偏在してくれているはず、頼んだよ、の家族と、文字通りの仏さんのみなさん(えーっと一応無宗教ですが)のお花のお水換え、お茶、お線香をあげてのお祈りタイム〜(ババ臭いかしら?)、歯磨き、大急ぎで作ったおにぎりパクパクなどを経て、なんとか出発。

が数分歩いてふと気づく。白いジャケットの胸の真ん中に、2カ所薄いしみ。そういえば、お茶かなんかを、どどど、とこぼした記憶。いい年して、ぶさいく、ぶさいく過ぎる。でも、引き返して別のに着替えたら、慌ただしい美術鑑賞。うぐぐ。もうあきらめるか、トーマス・ルフ展。いやいや、どうせ、誰も、そんなに熱心に私のこと見てないから。寂しい方向で自分を励ます。進むのだ。

東西線竹橋から数分と表記されていた東京国立近代美術館だけど、出口を出れば、目と鼻の先。出口の前には

 

f:id:hirokikiko:20161113134516j:plain

ルフ展絶賛友人が、日本一好きとかなんとか言っていた毎日新聞社。うーむ、彼女の大好きはこっち系であったか。確か、丸っこいほうのビルの地下?の本屋さんに取材に行ったことがあるぞ。懐かしのブックビジョン時代。

 

で、さすがに迷うことなく、トーマス・ルフ展。

f:id:hirokikiko:20161113135116j:plain

これが好き、いちばん好き、猛烈に好き。なぜかはわからないけど好き。

あ、でも、ちょと、毎日新聞社につながるものもある感じも。

 

f:id:hirokikiko:20161113135200j:plain

これがその次に好き。

私の中の何がここに響くのでせう。

 

 

f:id:hirokikiko:20161113135304j:plain

あ、通風口写ってる!

これは私のなかではいちだん落ちるのですが、

私の好き好きはてんでグッズになってないのに、これはなってるのよねー。

世間と相容れないのか、私。

 

f:id:hirokikiko:20161113135750j:plain

ネガシリーズ。ティム・バートン的。とか言うと叱られるかも。

 

f:id:hirokikiko:20161113135756j:plain

f:id:hirokikiko:20161113135813j:plain

 

宇宙シリーズ(というタイトルではなかったけれども)

f:id:hirokikiko:20161113141855j:plain

f:id:hirokikiko:20161113141907j:plain

f:id:hirokikiko:20161113142014j:plain

小さいドットはみな、照明の映り込みです。土星って素敵。

 

f:id:hirokikiko:20161113142832j:plain

こんなのもあったけど、やっぱりいちだん落ちると思うのだけれど、

こやつもグッズになってるいのよねー。納得いかん。

 

f:id:hirokikiko:20161113163445j:plain

そして、帰り道の毎日新聞アゲイン。

 

が、実は、常設展が充実しまくり〜で続く。

 

p.s.

奈良美智がドイツの美大トーマス・ルフと同時期に在学していたそうで、本人も見かけたし、ポートレートになった人たちもキャンパスを歩いていたと、どこかに書いていました。するとなんだか、巨人が歩いていた図が頭に浮かぶのは私がバカだからか。でも、巨大化しただけで(と言うと失礼かしら)うんとこおもしろくなる不思議を感じさせてくれるポートレート。生なんだけど、生々しいとはまたちょっと違う。

ジニのパズル

ジニのパズル

塾の課題です。

提出したものは ↓

 

単一民族国家

 私が大阪市立すみれ小学校4年生のときだったと思う。昼休みに教室の先生の机の上に〝外国人〟と書いた紙が置いてあるのが目にとまった。外国人? そこにはクラスメート数人の名前と、それぞれの〝本名〟が書いてあった。びっくりした。なぜあの紙があんなふうに無造作に誰でも見られる場所に置いてあったのだろうと、今でも考える。担任のうっかり? 悪意? そもそもなんのためにあんなリストを作る?

 崔実『ジニのパズル』は正直読み返すのがしんどい小説だった。在日朝鮮人である主人公ジニは<学校——あるいはこの世界からたらい回しにされたように、東京、ハワイ州、そしてオレゴン州>と渡り歩くわけだが、構成、展開、内容、表現もろもろ、ひっかかりまくって集中できない。なんだかざわざわと気持ち悪い。ただ、小学校、朝鮮学校でのジニを描く部分は、近くにあっても見えていないものを、私たちの鈍感を、見事に突きつけてくれる。

 朝鮮学校に対して日本の学校が〝日本学校〟と呼ばれているのも、当たり前だけど新鮮だったし、朝鮮学校内ではすべて朝鮮語、というのも、あっそうか、そりゃそうだわなと。そんなところへいきなり言葉のできない子供を放り込むという親の選択、ならばといきなり授業を日本語にするという学校の判断、そんなことされたら当人めちゃくちゃプレッシャーじゃん、気づけんかそれくらいの一方で、別に朝鮮学校に移ることを嫌がったようすもないのに、朝鮮語を学ぼうとしないジニもなあ。それでもいじめを前にして<ここは朝鮮学校だ。日本学校ではない。同じ民族同士だ。私は、羽をうんとひろげることにした。夢のようだった。そこには揺るぎ無い自由があった。>と語るジニから、逆に日本学校での小学生時代の彼女の窮屈さが測り知れるし、<教育というと〝北朝鮮の〟という誤解をされやすいが、先生たちの口から北朝鮮という言葉を聞くことはない。北朝鮮の話なんて誰もしない。制服と学校行事を除いては、本当に日本の学校と変わらなかった>の記述に先入観の壁が崩れていく。

 テポドン発射の日に憎悪の標的にされたジニの<首を絞められただけなら警察に行ったかもしれない。だけど、そうじゃない。そうじゃなかった。だから、私は警察どころか、家族にも、友人にも、これから先、誰にも何も言わないだろう。>という言葉は、思春期の少女の負った傷そのままに、ぱっくりと口を開け血を流している。そして、この陰湿に踏みにじられる感覚は肉体的強者→弱者、男→女、日本→朝鮮の構図に重なっていく。

 日本は単一民族国家? 単一民族の教室に外国人リスト? それは秘密? 言ってはいけないこと? なぜ隠す? 隠さないと襲いかかってくる、野蛮な単一民族国家です。

 

 絶賛の声もある作品ですが、ものすごく雑。突っ込みどころだらけ。実際に起こったことであっても、小説としての説得力を担保できていないのなら、それはダメなわけで。 そこを補ってあまりある魅力の作品とまでは思えなかったなあ。されど、貶すは易し、なので、 極力貶さない方向で書いてみました。