タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

人生、行きがかりじょう

人生、行きがかりじょう――全部ゆるしてゴキゲンに (シリーズ22世紀を生きる)

 

京都の人の本なので、関西弁で書きます。

聞き語り、みたいな本で、経歴やらなんやらおもしろそうな人なので

図書館で借りてみた。

今は京都でお漬けもん屋さんと居酒屋をやりつつ、

日本初の酒場ライターで

昔は水道屋さんやら広告業界やら画家、踊り子

スパイにも自信があるらしい。

ね、おもしろそうでしょ。

けど、読んでみると、正直それほどおもしろない。

なんでかな? イマイチやなあ

と思っているうちに本も終盤へ。

と、急におもしろくなってきた。

〝小説〟はさておき、

本人が書いてはる文章が引用されると

すごくおもしろいねん。

なんかグッとくる。

 

「年がいった男の子から、おっさんへの脱皮を目指そう。」という文章ではここが好き。

 

 お洒落を求めるのもいいがちょいワルおやじだのエグゼクティブテイストだのはおっさんではない。それは年がいった男の子だ。うまい食い物や有名な店が好きで、1カ月前から予約をしていくタイプもおっさんではない。それはおばさんだ。

 

 おっさんは自分だけの服を着ている。安物の服であってもその服がバーのハンガーに掛かっていれば「あ、森さんが来ているんだ」となる、服は身体の一部になる、それがおっさんのスタイルだ。

 

 俺が子供の頃から映画を見てフラフラになった刑事やワルやダメな男や危険な男は必ずいつも同じ服を着ていた。そしておっさんはいつも同じ店に行くのである。新しい店の蜜を求めず、同じ皿を見つめ変わらぬグラスの酒を飲み、背負ったものをちょっとそこに置いて一服する赤と黒が混ざったかのような男、それがおっさんだ。      

 

 街や店に何かを求めずそれに同化することによって仲間や家族や後輩に限度の線を示す赤と黒のおっさんを目指したい。

 

 う〜ん、何回読んでもええなぁ。

〝その服がバーのハンガーに掛かっていれば〟のとこで、近所のワイン・バーの、ひとりでやってはる、そのお店の人の上着(半袖のサファリジャケットみたいなやつ)がいつもカウンターの内側のフックに掛かっていた初夏の光景を思い出して、そういえば最近気にしてなかったけど、冬はあそこに何が掛かってるんやろ、とそのお店に行きたくなりました。カウンターだけの、ワイン・ダイニングというよりはやっばりワイン・バーって感じのお店なんやけど、その人がめっちゃ料理が上手なんで、来るお客、来るお客、みんなわしわし食べもの頼む、その注文をひとりでてきぱきこなしていく、でもカウンターの幅がたっぷり取ってあるので、いろいろ頼んでお皿が並んでも余裕、そんなお店。

 

バッキーさん、年がいった女の子からおばはんへの脱皮は、どないしたらええんでしょう? それはやっぱ、自分で考えなアカンのかなあ。