トイレ本というのは、はっきり言って
トイレでうんちをしているあいだに読む本です。
わっ、文字にするとなんだか、わっ、だな。
『富士日記』は上中とトイレで読了。
かなり期間をおいて目下、下。
日記ってトイレ本に向いてるんですね。
一日、一日、記述が独立しているからキリがつけやすい。
うんち中に読む本だからって
なんか、ないがしろ、とか、自分の中で格オチとか
そういうんじゃありません。
むしろこまぎれ読書が向いている本、っていうのかな。
『富士日記』は最初読みだした頃は
本当に淡々とした記述の羅列で
作家の嫁なのでときどき有名人が登場するだけじゃないかい
なんでこんなに持ち上げられるんじゃい
と思ったりもしたけど
読み進むうちにじわじわ〜っと百合子マジックの虜に。
今では、さあウンチだ、『富士日記』読めるぜぃ状態。
で、今朝のとこ。
昭和四十五年五月四日
武田百合子は片脚を折ったようすの小鳥を拾います。
夜、又鳥に餌をやる。とても残忍なことをしている気持ち。いい気持ち。鳥は時々、丸い黒い光った目をあける。
五月五日
前五時半に起きる。鳥は麦わら帽子の中で死んでいた。棄てる。
すごっ。真似しようったって、真似できない。