タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

魔王

魔王 (講談社文庫)

塾の課題で、人生初伊坂幸太郎

 

消灯ですよ、と彼女は言った

 

 伊坂幸太郎「魔王」、「呼吸」の連作(『魔王』講談社文庫)がまず読者を引きつけるのは、10年前に発表されたとは思えないほど今の日本の状況と重なる、社会の不穏な空気だろう。そんななかで「魔王」の主人公安藤は、ある日突然、他者に思うがままの言葉をしゃべらせる〝力〟を得て、学生時代からの〝でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、世界が変わる〟という信念に基づき、未来の独裁者を失墜させるため、〝巨乳〟と言わせようとして力尽き死んでいく。

 一方、「呼吸」の主人公、安藤の弟、潤也は、兄の死後5年たって、10分の1以内の確率のものであれば正確に当てられる〝力〟を得た(兄から授けられた?)ことに気づき、競馬で稼いで巨額の資金を得、〝金の力〟で兄の遺志を継いで世界を変えることをめざす。

 この連作が異色なのは、ムッソリーニと重ね合わされる政治家、犬養が非常に強権的な人物でありつつも、ある種魅力的であり、登場人物の誰からも、命を賭して彼の失墜を目論む安藤からさえ、全否定はされていないことだ。「呼吸」では犬養はすでに首相となっていて、憲法改正のための国民投票を実施するのだが、潤也がどう世界を変えようとしているのかは一切示されない。むしろどう変えればいいかわからない逡巡ばかりが描かれる。それでも「勇気すらお金で買えるんじゃないかって思う」潤也は「俺たちは大丈夫だ。賭けてもいいよ」と自信たっぷりに物語を結ぶ。ひとり魔王と戦い殉死した安藤は、「呼吸」の語り手である潤也の妻、詩織に「あいつ(潤也)こそが魔王かもしれない」と囁きかけたりもする。怪しい〜。

 いや、そもそも怪しいだらけの『魔王』である。〝力〟を持つのは自分だけだと思っていたら大間違いだと安藤に警告するバーのマスターを筆頭に、怪しい人物、怪しい出来事が目白押しで、そうなるともう誰もが怪しい超能力合戦にも見えてくる。安藤の大学時代の友人、島も、マスターも、潤也も、ときに何かに憑依されたかのように語りだす。そして、実はいちばんの曲者が詩織で、「呼吸」では語り手として、終始夫である潤也を見守る彼女だが、「魔王」で安藤は〝彼女は、無邪気で、無知にしか見えないことがたびたびあるが、時折、それらがすべて彼女の偽装であるような、そういう気にもさせられる。〟と、微妙な警戒心をにじませている。極めつけは彼女のフレーズ〝消灯ですよ〟だ。この言葉とともに安藤は死に、〝消灯ですよ〟から「呼吸」は始まる。するともう、「呼吸」の彼女の語りのすべてが、そう素直には受け取れない。魔王はむしろ詩織かもしれず、「呼吸」は〝たかだか死んだくらいで〟弟を見放すはずのない安藤と詩織の、潤也をめぐってのせめぎ合いにも見えてくる。〝考えろ、考えろ、マクガイバー〟の兄に対して〝考えない、考えない、呼吸をしているだけ〟と潤也を操るのは、実は詩織なのかもしれないと。

 

 読んでない人にはわかりづらい評かもしれません。すみません。

 伊坂幸太郎という作家は通常、はりめぐらせた伏線を最後に見事に回収してみせる手際みたいな作風らしいのですが、本作は彼の中では少し異質で、伏線やヒントや目配せのようなものがちりばめられたまま、謎をいっぱいはらんだまま、終わります。まあ、さらなる続編もあるのですが、にしても未解決要素はいろいろで、でも、だからダメというのもなく、ただ、えっ、これってエンタメっすか? と私などは思うわけです。エンタメか純文かなんて、ほんっとどうでもいいんだけど、なんかザ・エンタメみたいなレッテルどうよ。

 男性の名前は潤也以外全員姓のみ、女性は全員名のみ、とか、明らかに〝わざと〟やっているとしか思えないけれど、その意図はイマイチ???

 登場人物アンダーソン(男なのでアメリカ人でも姓のみ)の妻は歩道橋から転がり落ちて死んだ、ってことになってるんですけど、普通人間、歩道橋から転がり落ちて死ぬか?と思っていると、『魔王』の主人公安藤の死の直前、足下から歩道橋が消える、とかね。この小説世界における〝歩道橋〟って何?

 ま、そんな、こんなのネタはわんさかです。

 本作に登場するバー、ドゥーチェ(イタリア語で指導者)のマスターの風貌が、私のいきつけのワインバーの店主さんにそっくりで、しかも最近ずっとお休みだったので、これは誰かを暗殺にでも出かけているのかと、塾の懇親会のあとにチェックに行くと、その日はちゃんと開いていたので、つい吸い込まれるようにお店に入り、ファシズムに勧誘されたりはしなかったのですが、ビールに焼きそば(美味しい!)、赤ワインにフルーツのブルーチーズ和え(美味しい!)をいただいたところ、翌日しっかり1キロ太っていたので、やはり魔王はあの人かも、と思いました。