映画の『野火』を観なくっちゃとツイッターでつぶやいたら
塚本晋也監督ご本人から「ぜひ!」という返信が来て
舞い上がる私。これは行かねば。
12月1日1,000円で観られる映画の日に、下高井戸シネマへ出かけました。
(今思うに、監督から返信もらってうれしかったのなら、普通の料金で観ろよ、私。)
しかし、私、きちんとした原作がある映画は先に原作を読む主義です。
映像化されると、イメージが限定されてしまうものなあ。
で、いろいろあってバタバタと慌てて『野火』を読みだしたら
意外なほどおもしろい。
独特に明るいのです。病兵なので使い物にならないと部隊を追われ、病院では病状が軽すぎると追い払われ、また部隊に戻っては追い返され、食べものもない中、肺を病みつつジャングルをさまようという絶望的な状況なんだけど、期せずして軍隊からはずれた開放感がある。不思議なテイスト。
しかし、迫り来る上映時間。
結局70%くらい読んだところで開演。
たちまち後悔。
原作を読みったてのほやほやなので
どうしてもいちいち比較してしまう。
そして、映画ではあの独特の明るさ、不思議な開放感は出ない。
一方、原作になくて映画にあるのは
主人公の断続的な咳
(これは効果的)
ちょっと状況に合い過ぎの、心理描写し過ぎの現代音楽的BGM
(これは私には邪魔でした)
際立つのは
ジャングルの瑞々しい緑
突然の爆撃に、目の前で威張っていた上官の顔半分が飛ぶリアリティ
マンションの2階にあります。
戦場の惨状
とは対照的な島の自然の美しさ
映画が進んで、ついに原作で読んでない部分に突入。
やっと比較から解放される。
夕焼けの頃、1回だけ上映
映画が終わって、生まれて初めて来た下高井戸の町を
せっかくなので少しぶらぶら。
そういえば、ひとりで映画を見に来ること自体
10年ぶりぐらいじゃないだろろうか。
ひとりぼっちになっちゃったねえ。
小腹がすいていたので
裏路地にあった〝何もかも無添加〟を謳うラーメン屋さんに入る。
麺は細麺ですごく私の好きなタイプだったのだけれど
出汁が美味しくない。いり粉がどばっと入っている感じでバランスが悪い。
麺はいいのになあ〜無添加でも美味しくないのでは、しょうがないなあ。
で、帰ってからせっせと原作を読んだのだけれど
今度は映画に引っ張られるという
ああ……なんかどっちもアカン……
どうすればよかったのだ、私。
原作を読んで、少し寝かせてから映画、かなあ。
原作、映画ともに、日本に帰ってからの部分は違和感が。
ちょと取ってつけた感が。
結局私の中にいちばん残ったのは
人肉食より何より
あのひとりさまよう主人公の独特の明るさ、開放感でした。
そのさまようジャングルのリアルを映画が与えてくれた。
映画のリリー・フランキーはすごいです。
まったくリリー・フランキーだとわからなかった。
もはや余技ではなく、立派な俳優さんなのだなあ。
そして、思う。
戦争するなら自分の国でやれよ、アメリカ、日本。
とフィリピンのみなさんはお感じになったことだろうと。