タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

『極北のナヌーク』+角幡唯介トーク

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狩をするナヌークさん。普段はニコニコ、気のいい感じの方です。

 

 昨日に引き続き、本日も「[座・高円寺]ドキュメンタリー フェスティバル」です。

 開場前、すぐそばでジャン・ユンカーマン監督が主催者の方と話してらっしゃいました。流暢な日本語で、めちゃくちゃいい人そうでした。ユンカーマン監督の映画も観ねばと思った、単純な私です。

 

 正直、亡くなった板坂智夫君が愛読していた角幡唯介さん目当てだったので、上映作品のことは寒いときに寒そうでちょっとイヤ(失礼)くらいにしか思っていませんでした。なにしろ、真夏に涼を取ろうと『シャックルトン隊全員生還』を読んだ女です、私は。

 がしかし、始まってすぐ目がまん丸。お、おもしろいっ!

 1922年!の映画なんです。サイレントにあとで日本で勝手に音楽つけたらしい。しかし、1922年の作品にしては映像はずいぶんいい状態です。最初けっこう長々と字幕説明が続いて、監督が何度も失敗し、何度も足を運んで撮ったイヌイットの記録であることが語られるのですが、なんと主人公のナヌークさんは映画の撮影終了後、2年もたたないうちに鹿猟に出て獲物が捕れず餓死したと。いきなりの衝撃事実。

 その後、ナヌークさん登場で、狩りの名手!とか言われてもなあ……。でまあ、ご家族とか紹介されていくんですけど、微笑みの女、ニラと紹介される奥さんは特に、ほんと知らないで写真見たらちょっと前の日本人という感じ。

 で、カヤックで猟に出た〜で、カヤックを陸というか氷につけて、まずカヤックの上に小学生くらいの子供が寝そべってるのも落ちないのか、と驚くんだけど、穴状の座席部からナヌークさんがすぽぽんと抜け降りると、しばらくして穴から奥さん登場! ゲゲ、中に入っておったですか、苦しくないのか〜と驚いていると、さらに中から全裸の赤ん坊が引き出され、お母さんの背中へポイ、とさらに小学生くらいの子供、また子供、成人女性、と結局家族全員がわらわらと出てくるという。手品か!

 それ以降も、釣った魚の頭に次々とかぶりついて殺す!ナヌークさん。イヌイットの辞書に生臭いの文字なし。そりゃ主食生肉ですものね。銛を打ち込んだセイウチと男数人がかりでの格闘。なにせ相手は2トン。

 雪原にわずか1時間で、私らの頭にこびりついている、あの雪のブロックみたいなのでできたドーム状のエスキモー・ハウスを作り上げるナヌークさん。なぜか家族は手伝わず。だーいぶできてから成人女性ふたりは雪で隙間を埋める作業にかかるものの、子供たちはそのへんで遊んでいます。別に手伝えとも言われません。いいな、イヌイット。お父さんはたいへんだけど。しかし、1時間ですよ。この映画が噓をついてなかったら。透明な氷切り出して、ちゃんと灯り取りの窓まで作って。日本人は何十年もローン払って家を手に入れるんだよ、なんて言ったら、ナヌークさんたちはアホかいな、と思うのでしょうね。

 犬橇を引く犬たちは、放っておくと子犬を食べてしまう!ので、子犬は子犬用のちっちゃいドームハウスを作ってもらいます。犬もワイルドだぜ。ナヌークさんがアザラシを仕留めたとき、肉を分け合う人間に、俺らも欲しいぞと牙剥きアピールをする犬々の顔は本当に凶悪で、子犬むしゃむしゃ食べそうでした。

 アザラシを食べるとき、主にニラさんが映っていたのだけれど、肉と脂肪を交互に食べていた。そこへ「彼らを脂肪食いと呼ぶなかれ。脂肪は彼らにとってバターなのだ」という字幕が出てきて、なるほどなと。ま、そのほうが味に変化もついて飽きないだろうしね。

 あと、イヌイットのみなさんは素肌の上に毛皮の服、寝るときは全裸で毛皮毛布、敷毛皮という感じでしたが、いつも赤ん坊(いつも全裸)を背中に入れたニラさん、襟元から背中がのぞいているし、寝ているときも肩先とか出てるし、ドームハウスの中も氷が溶けないように零下を保っているというのに、寒くないのか〜あんたら。

 そんなこんなで映画終了。

 

 いよいよ角幡唯介さん登場です!

 最初、舞台へと階段を上っていかれるときの後ろ姿は、思った以上に普通な感じでした。そんなに大柄でもないし。椅子に座られると、さすがに肩幅は広い。そして、なんというか、放つものが強い。私は『地図のない場所で眠りたい』の写真の印象で、体育会系の豪快爽やか青年、みたいな方を思い描いていたのですが

 

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なんか大らか〜とかじゃなくて、もっと鋭角的な印象。

 

フェスティバルのプログラムディレクターの山崎氏を相手にトークが始まりました。

 

 まず山崎氏からこの映画の監督、ロバート・フラハティはドキュメンタリーの父と呼ばれているという説明がありました。角幡さんは昨年7ヶ月間北極で過ごし、この映画は彼の地へ旅立つ前に観たそうです。

 

 <角幡> 映画に登場するナヌークはカナダのハドソン川近くのイヌイットだが、もう少し西、不毛地帯と呼ばれるバレン・グラウンドには1920年代にラスムッセン探検隊が初めて入っている。交易所なども出てきて、本作はイヌイットと白人文明の接触の最初期の記録と言える。

 角幡さんが滞在していたのはグリーンランドのシオラパルクだが、カナダでは今やイヌイット文化はほとんど残っていない。この映画に出てくる犬ぞりカヤックはほぼなくなり、冬はスノーモービル、夏はバギー<ホンダと呼ばれている>で猟を行っている。一方、グリーンランドでは今も犬ぞりが活用されているし、カヤック鯨漁に使っている地域もある。ただ、カヤックは今はもっと小さくて、映画のような家族全員が乗り込むようなものはない。反対に橇は今のほうが大きく犬の数も多い。夏場にモーターボートと銃でたくさんの獲物を捕ることができて、いろんなものが買えるようにようになったので、犬の数も増えたのではないか。

 

 <山崎>50年前に観たときには、この作品は音なしだった。単なる民族学的記録とは違って、フラハティがそこで感じたことを伝えるため、ある程度の〝演出〟が為されている。自然光ではああいう映像は撮れないし、カメラも今よりもっと大きく感度も悪いので、自ずとある程度の仕込みが必要になる。しかし、大切なのは何を伝えるかだ。

 

 ここで角幡さんがグリーンランドで撮った写真が紹介されました。

1.グリーンランド シオラパルク 夏 海岸の岩場で捕虫網状のものでアッパリアス(鳥)を捕る男性。

 1日150羽から200羽捕る。角幡さんも遠征用の干し肉を作ろうとアッパリアス猟に挑戦。最初1日かかって20羽くらいだったのが、120羽くらい捕れるようになった。

 

2.捕獲した一角鯨のまわりに集まる人々

 6月の頭くらい、村の前の氷が溶けて流れだした頃、フィヨルドに入り込んできた。村人は大騒ぎ。ボートを出して追っかけまわして、みんなで解体。ここに写っている大島さんは、植村直己が初めて北極圏へ来たときに一緒だった人だが、こっちのほうがおもしろいとここで猟師になった。今は若いイヌイットに猟を教えたりしている。大島ファミリーは一大勢力。アッパリアスを1日900羽捕ったことがあると語っておられたそうだ。(アッパリアス捕獲量=人間の価値的なシンプルさが楽しい、とヒロキは思いました。 )

 隣のカナックという地域は、法律でモーターボートを使ってはいけない場所になっている。カヤックはこの映画のものよりうんと小さくて、アザラシの皮ではなく防水の布で覆う。設計図などはなく、なんとなく作っていってできてしまう。ものすごく器用で対応力が高い。

 

3.カヤックで遠征に出たときの角幡氏の同行者

 映画でセイウチを捕るシーンがあるが、セイウチはイヌイットのあいだではいちばん恐れられている動物。角幡氏が冬のあいだにカヤックで燃料・食料を運んで北へ長い旅をしたいと言ったところ、村人たちからやめろと止められた。セイウチに襲われる。セイウチは潜っていて突然出てくる。最近も殺された者がいる。行くなと。でも、カヤック買っちゃったし、もうひとり行くってヤツもいるし、と出発。4日目、同行者のコックピットにいきなりセイウチが乗り上げてきて、穴をあけられ、追いかけ回される。後ろから波が来たと思うとセイウチが追いかけてきて、腰が抜けそうになるくらい怖い。昔のイヌイットは泳いでいるセイウチも銛で捕っていた(映画に出てくるのは波打ち際で休んでいるセイウチ)が、実に危険。なんとかセイウチから逃れ、穴の開いたカヤックは応急修理。銃も防水ケースに入れてコックピットに置いてあったが、出すのに2、3分かかるので、セイウチにどーんと当たられてしまえば間に合わない。

この3枚目の写真は特に美しかったけれど、この後たいへんな思いをされたわけです。セイウチって一見とっても可愛いのに、ねえ。

 

 冒険のきっかけは、大学に入っておもしろいことはないかと探している時期に探検部に入部。大学時代にはミャンマーチベットにも行ったが、どんなことをやりたいか、固まっていなかった。国内で山登りの訓練等していることのほうが多かった。

 2011年に初めて北極圏へ。その前にチベットやヒマラヤ奥地の渓谷地帯の冒険をしていたが、2009年にひとりで厳しい旅をし、死を意識した。以来、ひりひりと死を感じるような経験をもっとしたいと思うようになり、極地へ。(これがきっと角幡氏が放つ強いもの、鋭角的なものの源なのだと思う。善くも悪くも普通の人ではまるでない。私たちがどっぷり使っている日常と、別のところにいる、いたい、人という感じ。いちばん大切なものが、世俗的な価値とはまったくかけ離れたところにある。)

 イヌイットの人たちの生活は、狩りをして、自分たちの力と知恵で動物を捕まえ、生きていく。非常にシンプルな地球との関わり。

 探検、旅、非日常というのは結局、自分の才量で生きる経験を求めている。

 この映画を観て、この生活おもしろそうだなと思う。

 

 2ヶ月の極地での橇の旅といっても区切りがゴールがある以上、遊び。

 区切り、ゴールのない生活となると、結局自分がやりたいのは原始人の生活。ダイレクトに命のやり取りをしている生活。

 

ここから質疑応答へ。

質問1. 移住を考えたりしますか?

 去年7ヶ月間シオラパルクにいて、家族がいなかったら日本に帰る理由は何もないなと思った。大島さんは現在68歳だが、イヌイットの女性と結婚して永住権を得、狩猟ライセンスも持っている。そうなると、アザラシや白熊を捕りながら、年に3ヶ月くらいはカナダのほうに旅したりもできる。そんな生活してみたいなと。

 

質問2. 現在のイヌイットがこの映画を観たらどう思う?

 たぶんみんな観ている。今も海外のテレビ局が取材に来る。

 イヌイットは自分たちの文化、生き方に、ものすごく誇りがある。角幡は彼らから見たら、何もできないヤツ、使えないヤツ。頭を指さして、俺たちはここがいいと言う。実際めちゃくちゃいい。生活に結びついた道具の使い方、応用の仕方、窮地に陥ったときにも切り抜ける能力への矜持を持っている。そのあたりは大島さんもかなわないと言っている。

 この映画を観て、彼らは自分たちと同じだと思うだろう。しかし、その一方で、生活は変わっている。特にカナダではイヌイットの文化は崩壊し、アイデンティティの喪失により、自殺者、アルコール中毒、薬物中毒の増加が起きている。これは先住民の文化が失われた地域に共通する問題だ。

 

質問3. 今の探検と昔の探検、どちらがやってみたいですか?

 シオラパルクは世界最北の村で、南極昭和基地などよりはるかに緯度が高い。

 そこでは3〜4ヶ月も夜が続く、極夜という現象がある。

 暗闇の世界を旅することをやってみよう。もうそれくらいしか未知の世界がない。

 そこへ行ったら何が起こるかわからない、というのが角幡さんのモチベーション。

 4ヶ月の夜のあと最初の太陽を見たら、自分はどうなるか? 根本的な未知が今はもうそれくらいしかない。そういう意味では100年前の探検家のほうが楽しかったと思う。

 

質問4. イヌイットが生きる目的は何か? この映画を観ると食べることに精いっぱいで、目的だの何だの考えていないように見えるが、今もそうなのか?

 内面まではわからないが、大島さん世代までは、生きる目的とかいう意識はなかったのではないか。将来のための「今」ではない。時間の観念が違う。だから生きる目的に悩むとかはない。楽しいだろうなと思う。そういう純粋な人生は。

 しかし、今は完全な猟師というのはグリーンランド北部でも難しくなっている。みんな兼業猟師に近い。そうなると生きる目的問題も浮上し、だから自殺も増えている。

 

質問5. 次の冒険の予定は?

 去年、極夜を含めた7ヶ月の旅のはずが事情があって一時帰国。今年の10月中旬に日本を発ち、11月くらいから旅を始める予定。今はそれが待ち遠しくて仕方ない。

 

 と、ここで山崎氏が「資金はどうしているの?」と質問。

「え、僕は資金は自己負担です」と角幡氏。

クラウドファンディングとかじゃないんだ」とやや笑いの山崎氏。

クラウドファンディングって何ですか?」角幡氏。

いや、いい、いいと山崎氏でトークは終わった。

 

 たいへんおもしろく興味深い上映&トークだったけれども、ひとつだけ残念だったのは、山崎氏が角幡さんのことをほとんどご存知ないようすだったことだ。誰もが木村俊介になるわけにもいかないのだから、全著作読んでおけとは言わないけれども、山崎氏は角幡さんの数々の受賞歴はおろか、本を書いていることすらご存知ないのではないか。ウィキペディア・レベルの知識すらないようにしか思えない発言がいくつもあった。年齢差もあって、しかも角幡さんが実年齢よりずっと若く見えるので、冒険好き青年の相手をするベテラン業界人みたいな構図を描いておられたのかもしれないけれど、あれではトーク・ゲストに対して失礼ではないだろうか。私はちょっと腹が立ちました。

 

しかし、最後のクラウドファンディングって何ですか?」発言。

私は角幡さんが嫌みでおっしゃったのではなく、本当に知らないのだと思う。

カッコいい〜、とシビレた。

 ニューアカ最盛期の頃、確か今はなき「ビックリハウス」で橋本治中沢新一が対談をして、中沢新一がメルロポンティがどのこの言ったときに橋本治が「えっ、誰それ? カルロ・ポンティじゃなくて?」と返したのを思い出した。

 流行(はやり)かなんか知らないけど、自分に必要ないものは必要ない。

 その潔さ。

 

角幡さんが無事極夜冒険から帰られて、新刊が出るのを待とう。