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タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

フレデリック・ワイズマン『肉』+想田和弘監督トーク

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[座高円寺]ドキュメンタリーフェスティバル  2016年2月9日 セレクション 想田和弘
 
 順番が逆になってしまいましたが、火曜日はこのプログラムを観ました。
『肉』はフレデリック・ワイズマン監督の11作目で、牛が牧場から屠殺処理工場へと運び込まれ、解体され、商品となるまでを、さらに同様の羊ヴァージョンを、淡々と映し出します。タイトルも内容も愛想なしが個性です。
 私はちょうど今、内澤旬子『世界屠畜紀行』がトイレ本で、しかもちょうど東京の牛肉処理場のところだったので、本の実写版を見ているようでした。ま、時代は違うのだけれども。
 
 想田監督のトークのお相手は主催者側スタッフの加瀬澤充さん。
 まず、なぜこの映画を選んだのか?
 想田監督の観察映画が最も影響を受けたのがフレデリック・ワイズマン。2001年制作の『ドメスティック・ヴァイオレンス』を2002年に観て衝撃を受け、全部観ると決め、ニューヨークの図書館に揃っていた(想田監督はニューヨーク在住)ので、毎日ひとりワイズマン映画祭をやっていた。その図書館で最初に観たのが『肉』(1976年)だった。
 ずっとテレビのドキュメンタリー番組を作っていたが、ナレーションや説明っているのか?と疑問に思っていたところ、ワイズマンの『ドメスティック・ヴァイオレンス』は自分の理想通りのやり方で、かつめちゃくちゃおもしろかった。そして『肉』を観て、なんだ昔からやっていたのかと、知らなかった自分を叱る。映画、ドキュメンタリーはシンプルでいいのだと教えてくれる。食肉処理場の工程をずっと追っているだけの映画だが、それでも観てしまう。当時としては最新鋭の工場だが、ワイズマンは別に特別なところでなくてもよかったはず。
 そして、工場を訪れるいろんな人たち、知事、日本からの視察団(日本人のイメージ通り、やたらと写真を撮る)、労使交渉、社長の話。工場の日常だけで、経済や社会の仕組み、人間と動物の関わり方が浮かび上がる。
 想田監督はテレビ時代、ネタが弱いと却下されることが多かった。だが『肉』を観ると、ネタなんかなんでもいい、問題はその切り取り方なんだとわかる。
 
 ここで加瀬澤さんが「ワイズマン作品を観たのはこれが初めてという方、挙手してください」(恥ずかしながら、私も手を挙げました。)けっこういたのでワイズマン4原則を教えてくださった。
 
1.インタビューがない
2.説明テロップがない
3.音楽がない
4.ナレーションがない
 
<想田監督>
 だから、観客が能動的に観なくてはならない。何の説明もなく誰かが出てくる。誰だろう? 服装、顔つき、しゃべり方、いろんなものを指標にして推測する。観客が没入し、能動的な観察者として立ち上がる。
 通常の映画では主人公を追うが、ワイズマンの映画では知らない人がどんどん出てくる。構成力がすごい。1本の映画の編集に8〜10ヶ月かけ、どの順番でシーンを並べていくか、すべてにロジックがある。ひとつ違っても映画として機能しなくなる。ちゃんと観客がついて行けるように構築されている。
 
 ラスト「我々はどこへ行くのか」
 すべての具体的工程のあと、ポンと抽象的、哲学的なところへ。
 編集によって生み出された視点。
 
 想田監督『選挙』ではワイズマンの真似をしたかった。
 ひとりワイズマン映画祭のときは、1回目は通して観て、2回目はなぜおもしろいのかを分析しながら。ショットの長さを測ったり、絵と音だけでどのくらい人の集中力は持つのか試してみたり。
 最新作の『牡蠣工場』でも工程が続くが、大丈夫という確信が。
 テロップ、説明のない新鮮さ。
 作り手にはわかってもらえているのだろうかという強迫観念があるが、大丈夫と観察を信頼する。自分と同じようにおもしろがってくれると腹をくくる。
 
 ワイズマンはカメラ目線の人は編集でカットする。レトリックとして、あたかもカメラがそこにいないかのような絵を作る。ある意味、神の視点に近い。人間という面白い生き物がなにかいろいろやっているのを宇宙人が観察しているような映画。
 撮影は監督(ワイズマン。86歳の今も現役)、カメラマン、アシスタントの3人。アシスタントはマガジンというフィルムの装填されている箱をチェンジする役割。16mmだと10分しかもたない。お金がすごくかかる。1時間回して、プリントするのに12,3万円。土本典明監督は2時間の映画だと6時間くらいしかカメラを回していない。お金がかかるから決め撮りをする。ワイズマンはずっとインディペンデントでやってきて、膨大な数の作品を撮っているが、1本の映画で90時間から100時間カメラを回す。そして、彼の作品はアメリカの公共放送PBSでほぼ必ず放映される。長い作品が多いワイズマンの中でも最長358分の『臨死』も、CMなしで一挙放映された。
 『肉』がいちばん短いが、今回のように16mmで観られるのは貴重な機会。
 
 ワイズマンはカメラの存在は撮影対象に影響しないと必ず言うが、はったり? 想田監督はそんなはずはないと思っている。『精神』を撮ったときも、黒子に徹するのは限界があった。患者から逆に質問をされることもあり、それがまたおもしろかったりする。無視だったり、関心があったりするのが、その人の人柄を表す。観察映画とは参与観察であって、カメラの存在が映画の中に組み込まれている。
 
 ワイズマンはカメラが存在しないかのような世界を構築したい。その作品はあたかも劇映画のように見えてくる、と想田監督は感じる。
 あらかじめテーマを決めないのは想田監督もワイズマンも同じ。今回のフェスのテーマは〝出会い、発見〟だが、想田監督はあらゆる可能性に対して体を開いていくようにしている。テーマがあると合わせてしまって、そこに合わないことは無視してしまう。
 テーマは空論に過ぎず、陳腐だ。実際にカメラを持つと思ってもみないものに出会う。その出会いを大切にする。
 テレビ時代はリサーチをし、ナレーションを書き、エンディングも決めていたので、台本と違う展開になったときにはパニックを起こし、無視したくなる。プロデューサーにも叱られ、現実より台本を優先しがちだ。
 『ドメスティック・ヴァイオレンス』の撮影前にどれくらいこの問題について知っていたかと問われて、ワイズマンは「ほぼ何も知らなかった」と答えている。かつての想田常識が180度反転したもので、だからこそ発見、出会いがあるのだ。
 今、想田監督には、リサーチなし、打ち合わせなし、台本なし、などの〝十戒〟があるが、第一作の『選挙』のときには疑心暗鬼の実験であったものが、今では確信になっている。
 
 ここから質疑応答
1. NHKの人から。取れ高が見えないとリスクが大きいが、周囲をどう説得するのか?
<想田>説得する人がいない。自己資金なので、失敗しても自分しか困らない。実は十戒の10個目は制作費は自社で出す。売って回収また作るのサイクルで、2005年の『選挙』以来、10年余で7本の映画を作っている。
 資本主義の世の中だから、お金をどうするかという問題は常にあり、組織の中で台本が必要なのはよくわかる。
[奥さんを説得しなくていいのか、という質問に対して]
 特にその必要はなく、企画を話すとおもしろそうねと言ってくれる。
 
2. ワイズマンの作品を教えてほしい(自分で調べろよ←ヒロキの心の声)
 加瀬澤氏が『全貌フレデリック・ワイズマン』という書籍を紹介。
『シカゴ・フォリーズ』、『霊長類』、『臨死』、『コメディ・フランセーズ』などなど多作。アメリカのさまざまな組織を撮る、博物誌のようだといわれる。
 
3. プライバシーの問題は?
 事前に許可を取る。
 
4. 撮影の中でどう方向性を絞って行くのか?
 カメラを回すとき2段階。よく観察していると、気づくことがある。その気づいたことをどう映像に翻訳するかを考え、映像に残す。その積み重ね。
 そこで興味、関心の方向性が出てくるが、それにこだわってはダメ。意識・行動を開く。観察していれば、自然に意識が開いていく。
 編集のときもテーマを設定しない。とにかく見る。書き起す。(起きたことすべて)
 おもしろかったところを時系列に関係なく抜いて行くと、2,30シーンは出てくる。それを通して見る。すごくがっかりする。おもしろいシーンばかりつないでも羅列でしかない。ロジックがないのでおもしろくない。順番を繰り返し入れ替える。するといろんな発見があって、ようやくテーマがわかってくる。その頃には編集開始からだいたい数ヶ月たっている。
 
 

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 座高円寺の階段
 
ここからは宣伝
『観察する男』ミシマ社
 観察映画の観察。牛窓へ行ってカメラを回し始める前から、編集者が想田監督にロング・インタビューを重ねる。
 
 とてもおもしろそうだし、買ってサインしてもらおうと思ったけれど、誰しも考えることは同じであったか、すでに売り切れていました。
 
2月20日からイメージ・フォーラムにて 『牡蠣工場』上映
 岡山県牛窓。最初牡蠣工場を撮るつもりはなかった。
 妻の母、牛窓のばあちゃん。夏休みに毎年のように訪ねるが、漁師はみんな70代、80代で後継者はいない。職業として消えていくのか? 何が起きている? 全国的な現象なのか?
 11月、カメラを持って牛窓へ。ところが、11月は牡蠣剥きシーズン。漁師のじいちゃんが経営する牡蠣工場へ連れていかれ……。
 
 想田監督は気さくで生き生きとした印象の方でした。今やっていることがとっても楽しそう。こんな人の作る映画はきっとおもしろいのだろうな。『牡蠣工場』はぜひ観たいけれども、問題は渋谷。極力渋谷には行きたくないのに、なんでアップリンクやらイメージ・フォーラムやらは渋谷にあるのだろう。やんなっちゃうね。