タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

JUHAで落語と浪曲の会

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きのう3月21で、板坂智夫君が亡くなってちょうど半年がたちました。

私はたぶん、大阪弁に飢えているのだと思います。

彼がいたときは家庭内では私はばりばりの大阪弁で、彼は東京生まれの東京育ちなのに、私に影響されてけったいな独自関西弁をしゃべっていました。それはそれでおもしろいので放置しておりました。

ひとり暮らしってしょうむないですね。私もひとり暮らしは長かったはずなのに、しみじみそう思います。みんななんでひとり暮らしなんかしてるんやろ。

ひとりなので当然家庭内に話し相手はいない。依然家庭内大阪弁ではありますが、それは独り言と、テレビに向ってつっこみを入れる(まあ、これも立派な独り言か)くらいに限られる。つまらん。

そんなんもあって、近所の喫茶店で開かれる上方落語(なんで西荻上方落語なんかは謎のまま〜)と浪曲の会に、友だちの f9 ちゃんを誘って行ってきました。

 

おもしろかった〜。

 

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まずは圧倒的に「声」であります。

観客20人ほどの小さな空間が鍛えられ磨かれた声で満たされます。

思えば最近「声」なんです。

インタビュー塾では他者の声に耳を傾け、自分を透明にして受け止め、拾い上げる。

家族を失って毎朝お線香をあげて祈りますが、若松英輔さんは〝祈りとはむしろ、なにかを訴えかけるより耳を澄ますことではないか〟と書いてはった。死者に向って耳を澄ますと、何か言葉が返ってくるわけではないけれど、束の間、独特の静謐な時間が訪れます。

そして「声」は生ものなんですよね。

小さな空間で、マイクなどなしでプロの人の生の声を浴びて

おっかしな話を聞いて笑う。

私って〝ゲラ〟かなって思うほど、よく笑いました。

大阪弁では笑い上戸のことを〝ゲラ〟って言うんですよ。

浪曲はちゃんと聴くのは生まれて初めてでしたが

伴奏の三味線がめちゃくちゃカッコいいんですよー。

ビーンとひと鳴らしで背景を作り出す。シブい〜。

速弾きのときは、合いの手の声も煽る煽る。

玉川みね子師匠、私はあなたのファンです!

あと、浪曲って歌うじゃないですか。開演前に玉川太福さんも言うてはったんですけど

一緒にご飯食べるような至近距離で、立派な声量で歌わはるので私は倍音がんがん感じました。それで帰ってちょっとネットで調べてみたら、浪曲の源流は「声明」と言われているのですって。そら倍音来るわー。

 

2時間弱ほどの楽しい時間を過ごし、最後はなぜか智六さんとハイタッチして帰ってきました。

 

で、これは本当に帰って、遅くなってから気づいたたんだけど

板坂智夫の「智」、亡くなって六ヶ月の「六」

彼が行っておいでと、楽しく過ごしておいでと背中を押してくれていたのかなあ。

 

落語も浪曲もぜひまた「生」で聴きたいです。