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タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

A Beautiful Child

Music for Chameleons: New Writing (Penguin Modern Classics)

 

きのうの深夜3時頃、ついに “Capote” を読み終わった。

Capote: A Biography

すぐには眠れない。つい今しがたカポーティを亡くしたような気分。

晩年はすさまじかったし、いちばん近しい人を喪って1年もたたない私には

いろんなフラッシュバックもあった。

何か読まないと眠れない。

でも、塾の課題のマルクス本にするりと移れるわけもなし。

スティーヴン・ミルハウザーも無理。

 

そうだ、大昔に買った “Music for Chameleons” があった。

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30年以上!?前。京都河原町三条のふたば書房でバイトしていた頃に買ったもの。

冒頭の現在入手可能のペーパーバックとはまるで違う。

 

何年か前、そう映画の『カポーティ』を観たあとで何編か読んで、文章が美しい〜とうっとりした記憶がある。

今夜はカポーティのお弔い。

マリリン・モンローの秀逸なポートレートという “A Beautiful Child” を読むことにする。

モンローの演技の指導者だったコンスタンス・コーリアーのお葬式の場面から物語は始まる。コーリアーがモンローの壊れもののような才能と魅力をそっと掬い上げる言葉が透き通るように美しくて、これは本当に彼女の言葉だったのかカポーティの脚色かと考えてしまう。カポーティは自分の耳に絶大な自信を持っていた。これも彼の耳が吸い取り記憶中枢に刻み付け、作家のフィルターを通して見事に再現してみせた言葉なのか。

モンローははかなげで蓮っ葉でキュートだ。コーリアーが亡くなったのが1955年だから、このときモンローは29歳だけど、ノーメイクの顔は12歳に見えたというカポーティの言葉は、決して大げさではなかったのだろうと、この短編は思わせる。

お葬式が終わり、ふたりは人目を避けて中華レストラン、さらには埠頭へと向い、その間ずっとおしゃべりが続く。オチも見事。

 

日本語版の翻訳はなんと野坂昭如

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

 

合わせて読んでみたくなる。

まさか「マリリン・モンロー・ノーリターン」(野坂昭如の歌手としての代表作のひとつ)だから野坂昭如になったわけじゃないんだろうけど。

私は一度だけ、実物野坂昭如を見たことがある。

高校生のときだ。帰りの環状線の中で友だちのひとりが今日阪急デパートに野坂昭如が来ると言った。4人グループのうちの誰ひとり野坂昭如のファンではなかったのに(女子高生がファンになるような作家じゃないし)、なぜかそのまま野坂昭如を見に行こうということになった。

うちの高校は私が入学した年から制服自由化で私服通学OKになっていたが、旧制服も販売され、ほとんどの学生がそれを買っていて、制服で学校に来る学生のほうが多かった。私はその制服の中途半端なグレーとかスーツのデザインとかが大嫌いだったので、制服を持っていない少数派のひとりだった。その日も私以外の3人は制服姿だった。

野坂昭如のイヴェントはミニ・ライヴのようなもので、野坂はバンドをバックに、あの吃音のMCをはさみつつ、けっこうヒットした「黒の舟歌」や「マリリン・モンロー・ノーリターン」などを歌った。そして「バージン・ブルース」を歌う前に、〝あなたもバージン、わたしもバージン〟というリフレインのあとに、バージンの人はパン、パンと手拍子を入れろと言った。曲が始まり、そこに来たが、5、60人ほどの観衆の誰ひとり手を叩かない。野坂は「ちゃんと叩いて」と指示するも、次のリフでもシ〜〜ン。3回目、野坂は私たちのほうを指差し「そこのグレーの制服の人たちもバージンじゃないっていうのか?」と怒った。気まずい。と、隣の友だちが小声で「バージンって何?」とつぶやいた。ほかのふたりもぽかんとしている。私はもちろんバージンって何か知っていたけど、そのままばっくれた。

 

A Beautifu Child は知らない単語は辞書を引いて、丁寧に読んだ。

書き込みはもちろん、BLACKWING・602

HALF THE PRESSURE, TWICE THE SPEED ですから〜。