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タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

朝鮮と日本に生きる

朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ (岩波新書)

 

塾の課題でござる。

おお、金時鐘、来た〜、だったのだけれど……。

以下 ↓ 提出したものです。

 

油膜

 大学時代に朝日選書の鼎談本『差別 その根源を問う』(上・下)を読んで(今も絶対にうちのどこかにあるはずなのに発見できず)、安岡章太郎の飄々としたホストぶりとともに、ゲストでは金時鐘の印象が鮮烈だった。どう鮮烈だったのかは記憶の沼の底だが、安岡章太郎の小説と金時鐘の本(なぜか〝詩〟とは思わなかった)、読むぞと心に誓い、流れに流れた歳月。今回の課題『朝鮮と日本に生きる——済州島から猪飼野へ』でついに時鐘さんの宿題果たせる、と喜んだのだけれど……。

 時鐘氏はまず、玉音放送に身を震わせた済州島の皇国少年として登場する。被侵略国に皇国少年!しかも、かの時鐘氏が、と驚いていると、子供ばかりではない。朝鮮人教員にも<めったやたらと平手打ちを喰らわせる猛烈な大日本帝国教員>がいる。侵略国日本に積極的に協力して利権を漁る者もいる。〝植民〟という言葉、改めて見つめると字面もえげつないが、人の心に浸食し、根を張るさまは苛烈だ。

 日本敗戦により朝鮮は〝解放〟され、皇国少年時鐘は愛国左翼少年に変貌して、党の活動に奔走。〝四・三事件〟で警察に追われる身となり、密航によって日本の大阪に漂着。ここでもまた民族闘争に身を投じ、詩を書き、朝鮮総連と対立する。

 即ドラマ化できそうな劇的人生。これがなぜか染み入ってこない。薄い油の膜でも張っているかのように、何かがそっと押し返される。

 本書を読み始めると、まず隣国に対する自分の圧倒的な無知に恥ずかしくなるのだけれど、油膜の正体はこれだろうか? たとえば四・三事件に関して、渦中の時鐘氏の〝虫の視点〟だけでなく、私が鳥瞰図的な知識や視点を持っていれば、油膜は溶解して時鐘氏の世界が心に流れ込んできたのか。

 いやむしろ、<悲哀とは / 山に包まれた脱糞者の心である。>と綴る、長編詩『新潟』に向かうのがいいのか。脱糞詩のタイトルがなぜ新潟?という疑問への答えは、本書の終章で明かされる。<朝鮮半島を南北に引き裂いている分断線の三八度戦は、東へ延びれば日本の新潟市の北側を通っています。>北朝鮮帰還事業の船が新潟から出航していたことはぼんやり知っていても、<地勢的には新潟を北へ抜ければ「三八度戦」は越えられる>なんて、日本人からは絶対に出てこない発想だ。少なくとも地理音痴の私からは出てこない。<ならば越えてどこへ行くのか? 究極の問いつめが三八度線を越えた私に残ります。> そうか、越えた先のことも考えなきゃいけないのか。むむむ。<『新潟』は生きのびた日本で再度日本語に取り付いて暮らさなくてはならない私の、<在日を生きる>ことの意味を自身に問い続けた詩集>。脱糞は油膜を突き破るか?

 この読書、油膜と新潟が、残った。

 

 こういう新潟の使われ方って、新潟の人はどうなんだろうという疑問があったのだけれど、先生が新潟のご出身で、やはり「そこに住んでる人間もいるんですからねぇ」と、新潟県民的には微妙なようです。

 

 どうも最近、作品に潜れてないなあ。

 受講生のYさんの「この人はアイデンティティ活断層にいるようなもので、震度7が2回来たあとに、逃げた先が放射能汚染みたいな」、Uさんの「親戚のおじいちゃんの話を聞いているみたいで、とりとめがない分生々しい」という指摘になるほどぉ〜と。