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タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

インタビュー 社会とは何か

インタビュー

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インタビュー講座の課題です。

 

社会とは何か 半分の性 

 

H・Kさん

プロフィール 一九四九年生まれ。山梨県甲府市出身。現在も甲府市在住。父の代からの家業である会社に勤めている。今年六月甲府市で『わたしの自由について〜SEALs2015〜』の上映会を主催。

 

 大学から東京に出て、当時四大進学率は男性で二〇パーセント、女性は五パーセントくらいかな。明治大学の仏文です。受験の翌年が東大入試がなくなった年で。ジェルジ・ルカーチにかぶれてたんだけど、美学は全部落っこちちゃって。サルトルも好きだったし仏文へ。でも、結局どこへ行ってもバリケード封鎖ですね。入って五月から、二年の終わりまで。やめちゃった人もいっぱいいましたよ。六十人のクラスで三十人やめたって、授業始まったときに聞いた。都内の子はまだ学費だけだからいいけど、私なんか生活費も親からもらってて。

 私は朝日ジャーナル読まなきゃ恥ずかしいってほうで、社会科学研究会ってサークルに入って。防衛庁とか羽田とか新宿とか、すごい数の学生が集まってた頃だけど、女性差別があったんですよ。女性はレポって言って、レポーター。先にちょっと情報収集ですよ。サークルはバリケード封鎖してる側だから。集会とか、サークルで集まるためにバリケードの中に入る。誰でも入れましたよ。乱交パーティをしている人もいたらしい。誰が尻軽だとか、噂してた。男の人のことは言わないんだよね。女はレポと炊き出し。あと喫茶店待機みたいなのね。機動隊とぶつかるとか怪我するとか捕まるとか、だから来るなって言われるの。喫茶店にいるのは、一応うちにいるよりも参加感があるから。

 七一年ぐらいには運動も下火になって。三年生になるとみんな就活始めて、女の人が少ないサークルで、男性はみんな何バタバタしてるんだろうって思ったら就活で、みんな公務員。革新政治が始まった頃だったから。今から間に会うのは東京都ぐらいだよって言われて、地方公務員、大学三年で中級が受けられるんですよ。それで受かったから大学やめちゃったんです。下の弟が東京に出てくるってときだったし。

 で、大学時代のサークルにいた人間と結婚したんです。その人は学年がいっこ上で東京都に入った。うまい具合に言いくるめられちゃって、就職するなら結婚したほうがいいんじゃない、就職してから姓が変わるよりって。それが半分プロポーズみたいな。向こうはヤバいと思ったらしくて。自分は都なのにこっちは世田谷区だから、結婚しないと取られちゃう的な?

 その頃はストライキで東京中の交通が止まる時代なんで。だから、東京都も組合は政治活動盛んでしたよ。今と違って、私鉄がストをかけるときは応援ストみたいなことをするとかね。公務員て基本的にはスト権ない。だけど、ゲリラ的にやってましたよ。ちょっとした集会とか。まだ社会党があった頃。都職労って自治労傘下で、リベラルなほうだったから。今じゃほんと考えられない。もう組合ないに等しいでしょ

 世田谷区に勤めていたのは七年半。七四年の十二月には上の子を産んでます。産休は十二週だったかな。当時の労働法の中ではマックスですね。それでも子供の病気で保育園から一ヶ月休めって言われたときは、母はリューマチで頼めないし。綱渡りでしたよ。夫が休んだり、こっちが休んだり。これでもうひとり生まれたらどうなっちゃうんだろうって。だから下の子を産んだのはUターンしたあと。姉妹で八歳離れてます。

 部署が変わって今から思うとマタハラなんだけど、その頃はまだハラスメントって言葉もない時代で、子供は二歳で、二重保育続けて小児結核になっちゃって。夫は私より先にやめたんですよ。三十になったら違うこと始めようと思ってたとか、そんなのそのとき初めて聞いたんだけど。やめて、髭なんか伸ばしだして。

 ハラスメントと夫がやめたのと子供が病気がちになったのと、父親が得意先で遠回しにもうあなたでは困ると言われたのが重なって、甲府に帰るって決めたときには、私の都合で夫の人生を決めては悪いから、別れるって言ったんです。夫は子供の具合が悪くても、まったく何もしてくれない。忙しいポストだったししょうがないんだけど、その頃の革新的な女子学生って性別役割分業拒否だから、すごい喧嘩したんですよね。そんなこともあって、来なくていいって言ったら、オレは家族じゃないのかって騒いで。でも、別れ話のさなかに、全財産入った財布をデパートのトイレに忘れてなくしたって言うんで、情けかけちゃった。しかたないなと。それが八十年だから三十一歳。

 社長を向こうにお願いしたんだけど、八十年に帰って、十年間は前年比十パーセントは売り上げが増えましたよ。思いっきりバブルですよ。ほぼ団塊の世代だから、バブルの先頭切ってますよね。崩壊して凋落していくのも。

 一回倒産して、作り直しました。それもありますね、離婚したのは。国がいちばん悪いですよ。青天井で貸したから。今も変なことやってますけどね。七千万までって言われてたのが二億何千万借りられた。国が悪いと県も真似するし、市も真似するってやつ。九一、二年までは気づかないで、その後どんどん悪くなって、二〇〇七年に整理して、八年に再建したのかな。別居したのが二〇〇二年で、一〇年に離婚。娘たちふたりがすごい私の味方をしてくれて、嫌がる夫を説得してくれた。

 何かしないと食べていけないし、従業員もいるので、できるだけ、得意先も仕入れ先も離れないように、払えるところは払って。元夫にはそういう能力はないです。営業もしないし、たたむこともしない。倒産させた当事者は社長にはなれないので、形だけ従業員の方にお願いして。実質私が社長やってるようなもんです。元夫は働き蜂。定時に来て定時に帰って、あー仕事したって飲むお酒がいちばんおいしいみたいな人で、その代わり会社の将来とかはまったく考えてない。それは自分の仕事じゃないと思ってるんでしょうね。

 だからずっとたいへんですよ、会社は。私はお客さんに会いにもいかないし、注文も取らないし、金勘定してるだけなんだけど、向こうは日常業務しかしない。たたむときも私が全部やったんだけど、銀行の相手って、日本の習慣で、こういう小さい会社だと女の人がやるんだよね。すごく珍しいらしいけど、先進国では。ただ、普段の銀行担当や経理は奥さんでも、いざというときになったらやるはずなんです。うちはそれもやんなかったわけ。

 SEALsの映画の上映会をやったのは、直接的には娘ふたりが病んだり、派遣切りされたりで。最初は私の育て方が悪いんじゃないかとか、どこの親もそういうふうに思うと思うんですけど、まあいろんな方の話も聞いて、個人的なことが理由じゃないと思ったんですね。個人的な親子関係の問題ではなく世の中の問題なんだと。

 上映会のメンバーは私と私が誘った人のふたりです。去年の九月、新宿のSEALsの集会に参加しようと甲府駅へ行ったら、北口の駅前で集会やってたんですよ。それであとで調べまくったんです。山梨でネットワークが欲しいじゃないですか、新宿行くより山梨が先だろうと。とりあえずいちばん入りやすそうなのは「安保関連法に反対するママの会@山梨」だなと。だから去年の九月からママの会の集会とか山梨のデモにも出るようになって、つながりもできて。

 小学生の飢えが六人にひとりだって聞いてますけど、息子や娘がクビになると、孫も含めて、誰が食べさせるかと言ったら親ですよ。本人はもう病んで眠れなくて記憶が飛んでるような状態で。使い潰しですよね。退職金も出ない、病院に行くのも自費、失業保険が出るまでは親が負担とか。やばいですよ。死の淵まで行っちゃうんですよね。うちの上の娘もそうだったし、下の娘もこないだそうなりました。ほんとタイムカード押さないで働くとか、サービス残業も当たり前だし。

 映画はアップリンクが配給元なんだけど、選挙前だとちょっと安くしますよって話で。選挙の応援をしたいって、監督の西原さんの意向があって。選挙は七月の頭で、それを知ったのが四月くらいだった。近隣の九条の会がやりたいって言ってるって聞いて、ヤバい、私がやらなきゃって思っちゃったの。商業的にも成り立たないと困るから、あんまり場所が近かったり、日にちが近かったりすると監督のOKが出ないっていうんで、先にやられたら、こっち断られるから。近くだったから。でも、あとで聞いたら向こうはジジイばっかりでめちゃくちゃフットワーク悪くて、なにを私はあせったんだろうって。

 映画の上映会やってる人からは準備に最低三ヶ月いりますよって言われて。まずは場所が取れないと話になりませんよね。公営のホールは土日祝日はもう半年前から埋まってて。決めたのは四月の末の連休に入る前。比較的安い民間の貸しホールを取った。フィルム代がいちばん高くて、あとホール代。それから監督とSEALsのメンバーを呼んだんです。牛田さんってヒップホップをやってる人。地元のヒップホッパーと即興のライヴもやってもらおうと。謝礼は払わないけれど、交通費とご飯代くらいはね。結果的に、その日のうちに東京に帰れないこともわかったんで、ホテルも取ったんですよ。ちょっとそこらへんが余分かな。諸々の経費全部とチケット収入を相殺して、主催者ふたりで数万円の持ち出しですみました。四十人でいっぱいのホールで二回やったんですよ。ほんとは何百人って集めたかったけど。結局八十プラス予備の席十四で九十四。満員になったんです。おかげさまで。

 何がうれしかったって、私たち主催者ふたりとゲストの監督と牛田さんと地元のヒップホッパーとのフリートークになったときに、誰も帰らなかった。質疑応答もあって、それが盛り上がっちゃって、盛り上がっちゃって、八時四十五分には出てくださいって言われてたんだけど、九時までやっちゃったという。

 やっぱり奥田さんとかSEALsの言葉は胸に突き刺さるんですよ。義を見てせざるは勇なきなりって言ってますけど、これなんかは私なんか十分感じる世代なんで。あと、全員って言っていいぐらい、三つくらい奨学金もらってるんですよ、彼らは。で、奥田さんなんかのいじめられた経験はちょっとすさまじいんだけど、ありとあらゆるいじめの博覧会みたいな。だから言葉が突き刺さるんだろうと思うけど。本当の言葉、そのまんまの言葉でしゃべってるから。それが決断力にはなったかな。この人たちだけにしといちゃいけないだろうって。これも彼らの言葉なんだけど座視、座って見てるだけの人間っていうのは、僕らは軽蔑しますって。普通に喋る言葉がすごいまっとうなんだよね。

 私にとって社会は、一応私、半分の性じゃない、女性という。男性というもう半分の性があって、わかってるつもりでもわからないんですよね、男性という性については。六十数年生きてきた経験値の部分ではわかるけど、半分わからないって意味ではまだおもしろいなって思うんですね、世の中に対して。未知の部分があって。悲観することも楽観することも半分の自分の中でしか知り得ていない部分で、こうだろうああだろうって断定できない分まだおもしろいところがあるだろうって。働きかけた場合に予測できないような手応えが返ってくることもあるかもしれないなと。

 幼なじみで大学で再会した男の子が、ウーマン・リブっていうのがアメリカで起きてるよね、これからおもしろくなるよねって言ったの。全共闘が下火になっても、またおもしろいんじゃないウーマンリブでって。男の人でも女が変わって世の中おもしろくなるなって思うんならば、今度、男が変わればまた女も変わる。当たり前ですよね。

 反権力闘争みたいなことをやる人はみんな言ってるんだけど、ひとりじゃないよねって。ひとりなら自分の力が尽きれば尽きちゃうけど、自分がやってればまたやり始める人もいるだろうし、自分がお休みしてるときにやってる人もいるだろうし。やってらんねえよな、そう思わなきゃぐらいの話なんだけど。あと、私たちはまじめっていうか、多面体の多面度が足りないと思う。さっき義を見てせざるは勇なきなりなんて言っちゃったけれども、大義ってなくてもいいんだよね、別にね。なんかおもしろそうなことをやってる感じのほうが。ごまめの歯ぎしりでもいいと思ってるのよ。上映会のときすごく支持してくれた方に、期待はしてないかもしれないけど、このままだとちょっと申し訳ないかもしれないってのはあるけどね。ただ、大きくならなきゃいけないってことはないし、よくならなきゃいけないっていうのでもないし、もしかしたら私じゃなくてもいいし、というふうには思う。

 母親とか女って立場もあるんですよ。子供が直接の契機で子供とSEALsがオーバーラップするとこもあるから。今、食えない子供を親が食わしてる。年金世代でも食わしてるのに年金下げるって話で。孫が食えない、飢えるってヤだよね。私何がいちばんやりたいかっていうと子供食堂ですもの。災害ボランティアとかだと配りっぱなしだけど、子供食堂だと親もいて、地域にも根ざすし、人間関係のネットワークもできるだろうし、そういうコミュニケーションっていうの? 年寄りの海外ボランティアもいいけど、地元がやばいじゃんって。シャッター通りどころじゃない、限られた繁華街がさびれてくなんて程度の話じゃないんだから。

 こんなひどい世の中のまま、子供たちに未来を渡すことに、ほんとうに済まないという思いが、心の底にあります。いろいろしてきてなかった、自分への怒りでもあります。

 

 インタビュー講座が今期からライティング塾に変身してしまいました! 1年かけて1冊本を書くそうです(笑)(他人事かっ!?)。なんだか知らないうちにマラソン大会にエントリーしてしまったみたいだ。でも、今後もインタビューも続けていきたいなあと。まずはFさんのロング・ヴァージョンだ!