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タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

苦海浄土

苦海浄土 全三部

塾の課題なんですけど、一生に何冊も出会えないレベルの本で

けれども締め切りっちゅうもんもあって、あたふたと書いてしまいました。

ま、素直な感想ってことで。

 

パラダイス・ロスト

  石牟礼道子『苦海浄土』(藤原書店 2016)を読み始めてほどなく、心にゆらゆらと浮かぶのは意外にも 〝美しい〟という言葉だ。水俣病患者といえば、四肢を苦しげにねじ曲げ、顔を引きつらせたイメージだが、本書において〝患者〟という一般名詞ではなく、山中九平、坂上ゆき、江津野杢太郎などの固有名詞で立ち上がる人たちからは、過去の幸福な記憶の靄が立ち昇っている。

 発病前の患者たちの生活に、以前読んだ『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』(岡檀著 講談社 2013)を思い出した。これは徳島県南部のある小さな町が、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”希少地域」であるのはなぜかを調査した記録だが、その町で人々は、夕方仕事を終えるとひとっ風呂浴びて、近所の気の合う仲間とたわいない話をしながら酒を飲み、とっとと寝る。それは『苦海浄土』第六章の <前庭をひらいた家のどこかの縁に腰かけて、男たちが随時な小宴を張っている。(中略)通りかかったものは呼び込まれる> 光 景、そんな宴の肴を存分に採れるよう <漁師たちが〝わが庭〟と呼ぶ> 不知火海の <〝庭〟のへりに家を建て、家の縁側から釣り糸を垂れ> ることを念願とする生き方と通じ合う。特段立派でなくていい、成長しなくていい、自分探しなどしない……思えば資本主義にとって都合の悪い静的な世界観だ。

 その世界の豊かさは、杢太郎少年の文字さえ読めぬ祖父の矜持からもうかがい知れる。< 海の上におればわがひとりの天下じゃもね。> <昔から、鯛は殿さまの食わす魚ちゅうが、われわれ漁師にゃ、ふだんの食いもんでござす。してみりゃ、われわれ漁師の舌は殿さま舌でごさす。> <沖のうつくしか潮で炊いた米の飯のどげんうまかもんか、(中略)そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色のついて。かすかな潮の風味のして。> 沖のうつくしか潮で炊いた米の飯を私も食べてみたいが、うつくしか潮は、金が命の某社の廃液で毒と化した。

 藤原書店版の扉で石牟礼道子は、自分が描きたかったのは希有の受難史ではなく、<海浜の民の生き方の純度と馥郁たる魂の香りである> と述べている。<まるで上古の牧歌の中に生きていた人々と出会うような感じ> であったとも。これだけのものを〝強欲〟が奪い、水俣病患者たちは水俣の経済発展を阻む要因として嫌悪された。

 <ユーキ水銀で溶けてしもうた魂ちゅうもんは、誰が引きとってくるるもんじゃろか。> ジャーナリズムに〝ミルクのみ人形〟と名づけられた杉原ゆりの母はつぶやく。<死とはなんと、かつて生きていた彼女の、全生活の量に対して、つつましい営為であることか。>坂上ゆきの解剖に立ち会った石牟礼道子は綴る。

 「第二部 神々の村」の冒頭は <杢太郎の爺さまが死んだ。> 読まねば。

 

 私は日々、亡くした家族を思って生きているので、日々、死とはなんと、かつて生きていた彼の、全生活の量に対して、つつましい営為であることか、を実感しています。『苦海浄土』は実に普遍的な書物です。