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タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

からゆきさん

からゆきさん 異国に売られた少女たち (朝日文庫)

 

 塾の課題です。

 

そのことばにさわっていたい  

 15年ほど前、ボルネオをひとり旅した。オランウータンの保護施設を見学するため訪れたサンダカンで日本人女性と中国系マレーシア人A君のカップルと知り合い、A君にはディープなチャイニーズマーケットで毎朝朝ご飯をごちそうになる(めちゃくちゃ美味しい!)ことから始まって本当にお世話になったので、彼の副業である観光ガイドを1日お願いすることにした。私のリクエストで日本人墓地にも出向いた。

 日本人墓地は海を見下ろす高台の斜面にあった。百以上の墓標が並んでいたと思う。『サンダカン八番娼館』には確か、<墓はすべて日本のほうを向いている>と記されていたが、方向音痴の私にはそれが日本の方角かどうかはわからなかった。ただ、墓が全部海の方を向いていたのは確かだ。花屋などほとんどないサンダカンでA君がなんとか調達してくれた花束を抱え、私はひとつひとつ墓標を見てまわり、手を合わせ、ところどころに花を置いた。ただ、明らかに男性の名前と思われる墓は飛ばし、手も合わせなかった。女衒の確率が高いと思ったからだ。スピリチュアル系なA君からは「声が聞こえても絶対に答えてはいけない、連れて行かれるから」と注意されていたが、鈍いせいか私には何も聞こえなかった。それでも、今思い出しても、熱帯のまぶしい日差しの下で朽ちかけた墓地は、しんしんと寂しかった。

 森崎和江『からゆきさん』(朝日文庫)には<淫売>、<醜業婦>、<国家の恥辱>と目に刺さる罵倒語が並ぶ。それに較べて<からゆきさん>の響きはとてもやさしく柔らかい。<そのことばにさわっていたい> という森崎の印象的なつぶやきは、石牟礼道子のたたずまいにも通底し、すっくと立ち上がって、女たちに寄り添う立ち位置を明示する。

 <客とるのがはじめての子どもは、たいてい泣きますばって、これがまた、たまらんちゅうて、水揚げを何回かします。> こんなえげつない記述に触れると、人間とはどこまで浅ましいものかとうんざりするが、卑しまれ蔑まれるのは売る側であって、決して買春ゲス男たちではない。それでも、ただ踏みにじられているだけではなかったからゆきさんたちの多様なありようが紹介されていく。

 森崎は中国人クーリーや朝鮮人女性たちの辛苦にも思いを馳せ、世界情勢や国策といった大きな視点も提示する。ただ、ひとつどうしても引っかかるところがあった。各地に妾を囲い、その女たちをまとめてだまして密航させる男のことを <男冥利の役割> とするりと書く。決してそんなことを<男冥利> などとは思わぬ男性の存在を、ロマンティストの私は信じているぞ。さらに言えば <女も年食えば内面夜叉である>&<おなごも男も、子持たんものは心はやみです>って、年食って子を持たぬ女である私の心は、闇夜叉か。<その言葉にさわっていたい>の官能性と、粗雑な断定をぽとぽと下す鈍感、さらには狂言回しとも言うべきからゆきさんの娘=綾さんの芝居がかりが同居して、複雑な味わいの『からゆきさん』である。

 

 先生から「墓はすべて日本に背を向けている」の間違いというご指摘があり、やはり実際にサンダカンの日本人墓地まで出向いた本多勝一が苦言を呈していたとのことです。そりゃ日本の方角は確かに墓の背後だが、海に面した傾斜地で、海に向かって墓が並ぶのは当たり前だろうと。その通り。しかも墓の背後は木立というかジャングルというかボルネオですから緑むんむんなわけで、山崎朋子のこじつけもはなはなだし。

 それはさておき、森崎和江という人もようわからん。ただ『苦海浄土』の余韻も残る中、ゴールデン・ウィークに天草・島原を訪ねてみるという人を羨ましく思いました。