タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

GO

GO (角川文庫)

 

塾の課題です。

 

100%の男の子

 

  金城一紀『GO』は1ページ目で早くも<これは僕の恋愛に関する物語だ>と宣言するけれども、その後随所にムラカミハルキ文体臭をまき散らしながら展開する物語において、いわゆる〝恋愛〟はなんだかなあ、である。猛烈にケンカの強い在日韓国人高校生杉原の前に、ハルキ的に言えば100%(魅力的? 理想的? 完璧?)の女の子、桜井が颯爽と登場する。<国籍とか民族を根拠に差別する奴は、無知で弱くて可哀想な奴>と<差別されても全然平気だった>杉原が、惚れた弱み、桜井に対しては素性を打ち明けて嫌われるのが怖くなる。そして結局打ち明けて、<韓国とか中国の人は血が汚い>とお父さんが言ってた(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)という理由で拒まれる。桜井、とんがったカルチャー女子じゃなかったのかよ、高校生にもなって親の言うことまんま鵜呑みのバカか、なんてことは、もちろん主人公は思わない。そして、物語の最後に桜井はあっさり改心して、<もう杉原が何人だってかまわないよ> (←依然上から目線)ちゃん、ちゃん♪ 

 薄っぺらな展開だ。似非100%女め。しかし、この小説では主人公にとって100%の男の子の物語もまた展開する。<ぼくたちは国なんてものを持ったことはありません> 正一/ジョンイルの登場は鮮烈だ。朝鮮籍から韓国籍に変えて日本の高校に進学すると決めた杉原を〝売国奴〟と罵り、殴り蹴る民族学校の教師に〝開校以来の秀才〟正一は敢然と言い放つ。彼の名が金正日と同じジョンイルであることも、読む者の胸に焼き付く。

 以来、親友となった杉原と正一の交遊は杉原と桜井の交際と相似形ともいえる。好きな本や映画、音楽について語り合い、互いのお気に入りを交換し合う。正一が実は杉原の〝肝試し〟(電車との命懸けのかけっこ)を目撃していて、<俺が女だったら絶対に惚れる>と思うのも、桜井がバスケットの試合と乱闘での杉原の身体性に魅せられたのと共通している。しかし、杉原と同じ〝外国人〟である正一(ハーフだけど)は、在日朝鮮人/韓国人としての自分と杉原の役割をしっかりと見据えてもいる。<後輩たちが広い場所に出ていける>ようにするための、行動と知識、解放と思索の両輪としての自分たちの役割を。自分とは対極の存在としての杉原。まったく違うからこそ、正一はほんとうに杉原が好きだったのだ。

 桜井との安易なハッピーエンドとは対照的に、在日韓国人ゆえに巻き込まれた事件で、正一は永遠に失われてしまう。その死の間際、正一が線路のほうに視線を向けていたと聞いて、杉原は<正一は間違いなく線路を駆け抜ける僕の姿を見ていたのだ><きっとそうだ、そうであってほしい>と願う。

 言葉の本質的な意味において、もう恋愛じゃないか、これは。

 正一が杉原に絶対に聞いて欲しかった<すげえこと>は永遠に宙づりの謎となった。その切なさを前にして、桜井との結末などケッ、である。これは杉原と正一の〝恋愛〟の物語だったのだ。