タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

園芸家12カ月 カレル・チャペック

 

塾の課題です。

自分でもちょっと好きです。

 

 

園芸家はミミズの夢をみる

 

 以前住んでいた借家には畳十畳分くらいの、私基準ではけっこう広い庭がつていた。都会育ちで庭というものにほとんど縁なく生きてきたのでうれしくて、引っ越し当初(春だった)私はかなり張り切っていた。しかし、長年空き家だったその家の草ぼーぼーの庭に足を踏み入れたとたん、たちまち手足のあちこちが猛烈にかゆくなって、即退散。久しぶりに現れた餌に、虫たちは飛びつき、貪り食ったのだ。私は丸腰で庭に入ってはならぬと学んだ。帽子につける防虫ネットを購入し、長袖、Gパン、手袋、長靴の完全防備態勢。それでもどこかしらはやられる。それにこのかっこうになるのがけっこうめんどくさい。結局、わずかな隙間にわずか数種のしょぼいなんやかやを植えただけで、私の園芸ライフは終了。以来ほぼ、屋内からワイルドな庭を眺めるだけになった。手入れはまったくしない。水もやらない。それでも最初から植わっていたハナカイドウやシャガ、椿、紫陽花などが季節になれば咲き乱れ、秋には紅葉が色づき、ヒヨドリ、シジュウガラ、セキレイメジロなどの野鳥が訪れた。なんとタヌキが庭を横断していったこともあった。放置庭はそれなりにいいもんだった。

 が、しかし、そんな庭をともに愛した家族を失った翌年だったか、隣家から、我が家の庭の木の枝が窓にあたってうるさいという苦情が入った。管理の不動産屋さんに伝えると、すぐに年配の植木屋さんがやってきた。私は自分が植えたローリエやミントが無用と判断されてはまずいと思い、残してくれるよう頼んだ。じいちゃんはふむふむとうなずき、そして数時間後(仕事が速い)庭はローリエとミントと紅葉と紫陽花を残して、ほぼ丸裸になっていた。大家/不動産屋は植木屋経費節約しか頭になかったのだ。庭を彩る主役たち、ハナカイドウも椿も南天も情け容赦なく切られ、シャガは跡形もなく引っこ抜かれていた。無惨だった。胸が痛かった。むんむん緑だった庭は、土の茶色ばかりが目立つようになった。

 が、しかし、カレル・チャペックならむしろ、この事態を喜んだかもしれない。と、今回『園芸家12カ月』(旧版)を再読して思う。この軽妙洒脱な園芸讃歌でいちばんの愛情を注がれているのはなんと〝土〟だ。チャペックは〝土フェチ〟なのだ。<ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、土をつくっている>、<涙の谷と言われるこの味気ない人生に、これ以上うつくしいものはない> ←土のことです。言い切ってます。 <つぎの世に生まれかわったら、園芸家は(中略)窒素をふくむ、かおり高い、くろぐろとした、ありとあらゆる大地の珍味をもとめて、土の中をはいまわるミミズになるだろう> ミミズ……なあ。

 カレル・ミミズ・チャペックさん、あれは千載一遇のチャンスだったのでしょうか? あのときなら、私は虫の襲撃におびえることなく、思う存分土をいじくりまわして、園芸家デビューできたのでしょうか?

 借家の庭はほどなく、雑草主体のむんむん緑に戻った。