タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

献灯使 多和田葉子

 

塾の課題です。

 

 

献灯使、検討ののち拳闘し、見当違いに健闘し

 

 多和田葉子「献灯使」は、言語変換 / 言葉狩りディストピア小説とも言えるかもしれない。

 ざっくり近未来。100歳を越えた義郎と曾孫の無名の生きる世界は基本的に汚染されており、さらなる相互汚染を防ぐため、鎖国政策が取られている。(「鎖国」って国を鎖でぐるぐる縛るみたいだ。)そこでは子供はもろくも老い、老人は老いるほどに頑強という逆進制。汚染度が低くいまだ農業が可能な沖縄、北海道は特権的地域で、他地域からの移住を簡単には許さない。政府も警察もなにもかも民営化されていて、<法そのものが見えないまま、法に肌を焼かれないように直感ばかりを刃物のように研ぎ澄まし、自己規制して生きている> 超監視忖度社会だ。特に規制が厳しいのが外国語で、英語学習は禁止されており、<英語が少しでも理解できれば、それは年を取っている証拠>で、<公の場で外国語の歌を40秒以上歌うこと> 、翻訳小説の出版、外国の都市の名前を口にすることも禁じられている。

 そのため、ジョギング→駆け落ち、岩手made→岩手まで、空港ターミナル→空港民なる、クリーニング→栗人具など、太平洋戦争中を彷彿とさせるような外来語の言い換えが行なわれ、また、ポリティカル・コレクトネス系変換、突然変異→環境同化、孤児→独立児童、義郎の妻、鞠華が運営する児童施設「他家の子(たけのこ)学園」などもあれば、診断→死んだ、で縁起が悪いと定期診断が「月の見立て」とされるなど、さまざまな言葉の書き換えがなされている。あちこちに顔を出す言葉の歪曲が、歪められた社会を映し出す。まず言葉が襲われるのだ。

 環境も不安定、<貸し犬と猫の死体以外に動物を見かけない> 世界で、抵抗力なく汚染を吸収し、弱っていく子供たちを救うべく、密かに〝献灯使の会〟が組織されている。毎朝の〝献灯の儀式〟を通じて、物語の序盤から、その会員の姿は作中に散りばめられていて(パン屋、包丁造り名人、鞠華、無名の担任、夜那谷)、終盤、小学2年から15歳にタイムスリッブした無名がいよいよ献灯使に選ばれ、ついに明かされる献灯使の使命! それは密かに海外へ出て、日本の子供の健康状態を研究してもらう……って、ショボっ。

 冒頭から、少しずつ明かされていくこの陰鬱な近未来の全体像に、底知れぬ物語の奥行きに、それ行け純文学!とわくわく、くらくらした。< 柱時計がぼんぼん殴りかかってきた>、<身体をメモ用紙みたいにその場から引きちぎって、くしゃくしゃにして捨てるように歩きだす> なんて比喩にもしびれた。どうする、どうなる、献灯使!?  何やらかしてくれるんだ献灯使!? だったのに……。

 そもそもタイムスリッブした時点で、あれ? ではあった。まさかの苦し紛れ? そして結末、<後頭部から手袋をはめて伸びてきた闇に脳味噌をごっそりつかまれ、無名は真っ暗な海峡の深みに落ちていった。> 文章としては好きですけど、これは1.無名あっさり死んだ。2. またタイムスリップかよ。の二択でしょうか? 伏線を回収しないのは世の常、純文学の常とはいえ、勝手に読者に宿題ばかり残して、去っていくのだよなあ。そこがいいのよ、と言い切れぬ、半端感。今、まさに私たちがコロナの時代に体験している閉塞感と、みごとに重なる小説世界ではあるのだけれども。