タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

ミシンと金魚 永井みみ

 

塾の課題でした。

 

 

ミシン中毒者は新聞配達のバイクに乗って

 

< あの女医は外国で泣いた女だ。> む?む? 永井みみ『ミシンと金魚』はいきなりカッコよく始まる。

そして、ラスト、ページをめくると <今は、秋だ。> の一行。以下空白。終わり方もカッコいい。

主人公、安田カケイの独白は、冒頭から彼女の鋭い観察眼を開陳していく。女医の目からは <興奮状態で、のべつまくなし喋り続け> ているとしか見えない老女は、貧困、医療・介護の現場での階級、じいさん・ばあさんの有り様などなどをしっかりと捉えている。一級の観察者だ。

 老人の朝は <目が覚めたとたん忙しくなる。まず、しょんべんしに便所に行かなくちゃなんない。それから新聞を取りに行かなくちゃなんない。> 寝床から体を起こすのもひと苦労。便所までたどり着き、お尻を出すまでがまたひと苦労。新聞を取っていないと倒れているのではないかと介護士が心配するし、新聞の日付を見ないとその日が何年何月何日なのかわからない。対照的に <夜は、手放しで、ありがたい。> しょんべんも済ませ、おむつも工夫して二枚重ねで朝までバッチリ。<眠ってしまえば、もうあれこれかんがえずに、すむ。あああ。このまんま、あしたの朝、目が覚めなきゃいいのに。> 生々しい老齢の日々の実態に、自分にもこういう日が来ることを思わずにはいられない。

カケイの人生は壮絶だ。生後まもなく母を亡くし、継母に虐待され、犬の乳(!)を飲んで育ち、小学校にもろくに通えず、兄に決められた夫は失踪、夫の連れ子に夜毎性交を強要され、生まれた娘は2歳で病死。唯一の庇護者であった兄も惨めに野垂れ死に、ろくでなしの長男は60歳で借金苦で自殺。現在、遺産(持ち家)目当ての嫁が、たまに介護にやってくる。

 そんなカケイを支えてきたのは、女は絶対に手に職をつけろ、という祖母の教えを守って身につけたミシンの腕と、独学で読み書きを学ぶ手段となった新聞だ。そして、物語の中盤、女性看護士全員を〝みっちゃん〟と呼び、ひとまとめにしてしまうカケイにとっての〝ほんもんのみっちゃん〟、<ひとり、便所でひり出し > 2歳で病死させてしまった娘、道子が登場する。人間なら誰でも、< 2歳すぎても、かあしゃん、と呼んだ > 道子に倣って、介護士たちはみんなみっちゃんだし、カケイのときどきの幼児口調も道子の口調に重なっていく。妊娠中、不義の子を堕ろせと迫る兄を、カケイはミシン仕事に没頭することでやり過ごした。いわばミシンが産ませてくれたこの最愛の娘を、しんぼうづよい娘を、ミシンを踏んでるときだけ、<ぜーんぶ忘れて、からっぽになってラクんなる> ミシン・ハイのカケイは、水も食事も与えず放置し、飢えと渇きを癒やすために金魚鉢の水を何度も飲んだ道子は、疫痢で死ぬ。それまでの人生で人に甘えることなど知らなかったカケイは、唯一、聞き分けのいい実娘に甘え、ミシンに溺れ、ミシンが与えてくれた子をミシンに奪われた。

 それでも人生は続き、カケイはミシンを踏み続けたのだろう。ラスト、玄関で倒れたカケイは新聞配達のオートバイの音を耳にする。新聞が彼女を〝お迎え〟にやってきた。ミシンと新聞の人生であった。

 

 短い作品なので丁寧に読めば割と楽に書けるのではと思っていたら、密度が高く、書きたいことがどんどこ出てきて、整理がたいへんだった。

 終盤、ずっと〝悪役〟できた嫁が汚れたテーブルをきれいに拭いていく手際に、カケイが <嫁はすでに、仕上がってる> と感心する場面は、カケイの職人魂炸裂ポイントかつ嫁の人格の多層化ポイントだから、何とかねじ込むべきであったなあ。