タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

紫式部ひとり語り

紫式部ひとり語り (角川ソフィア文庫)

 

塾の課題です。

ひっさびさにブログ書こうとしたら、なんか変わってて、文字色変えることさえ出来なくなっちゃったよ。泣けるなあ。

 

 

紫式部式サロン運営は残念な香り

 

<私の人生、それは出会いと別れだった。> 山本淳子『紫式部ひとり語り』、序章の結びの言葉だ。カッコつけてるようで、めっちゃフツー。そんなん誰でもやん、と突っ込みたくなる。読み続ける意欲がしゅるるるる〜としぼむ。いかん。

 一体平安貴族って何人くらいいて、どれくらいの規模の社会だったのだろう。最高位である公卿は、一位から三位の位を持つ者と「参議」に任じられているごく一部の四位が該当。なんと20人前後! その家族や皇族、身分の高い僧侶、女性を含めても、公卿身分に相当する者は100人にも満たないそうだ。これに続くのが四位、五位の諸大夫。公卿1に対し、約40倍、800人近くいたという。ちなみに総人口は推定1000万人。下々の者からは遥か遠い世界。なにせ田舎じゃ竪穴式住居暮らし。

 この極小雅ワールドを近いようで遠い、遠いようで近い立ち位置から眺めていたのが、紫式部清少納言らの女房階級だったわけだが、『紫式部ひとり語り』、中の人が学者のせいかどうも語りが説明的。たびたびの引用原文解説、参考書的。しかし、その学識のおかげで、女房というものの在りようが少し解せた気もする。妻や娘として家に収まっている「里の女」は、家族以外とはほとんど顔を合わせないのに対して、<女官や女房は、人に顔をさらす。顔などいくら見せても減るものではないと人は言うかもしれないが、そうではない。女は減るのだ。恥じらいや気品というものが。> と紫式部は当時の価値観を語りつつ、寡婦となり生活のため渋々女房となる。橋本治は『桃尻語訳 枕草子』で〝女房〟に〝キャリア〟とルビを振った。平安朝の女房たちはまさしく、その時代ほぼ唯一の女性総合職(キャリア)。紫式部もやがてプロ意識に目覚め、仕えていた中宮彰子の後宮の改革を決意する。女房は中宮の <戦いの最前線を守る実働部隊なのだ> と。そこで模範かつ超えるべき存在として浮上するのが、清少納言が仕えた中宮定子の後宮(サロン)だ。そして有名な清少納言への悪口。〝あの女、利巧ぶっていろいろひけらかしているが、大して学はない。〟思うに『紫式部日記』のこの一節が、紫式部=ねっちり・意地悪・えらそー、の烙印を押したのではないか。和泉式部に対しても文才は絶賛しつつ、こちらも学はないと切り捨てている。もはや主観的紫式部(ムラシー)学問無双。

 で、そんなムラシーは清定オシャレチャラ後宮(サロン)に対抗して、真面目重厚学識後宮(サロン)を目指すも、天皇譲位、崩御で果たせず終わる。でも、実現していたとしても、このサロン楽しいか? いちいち「そこは白居易の心情まで読み取って」とか言われて、勉強会? 女が学問を身につけること自体が、むしろ揶揄や蔑視の対象となった時代。ムラシーの悔しさ、屈折はわからぬでもないが、やっぱ <春って曙よ!> と、『桃尻語訳 枕草子』(未読 むちゃくちゃおもしろそう)へ手が伸びるのだった。

 

 

 と書いたけれども、実はけっこう『源氏物語』は読みたくなっています。さておき。

今回の課題はやたらと評判がよくて、ビバ! 紫式部! ビバ! 源氏物語!の空気の中、数少ないアンチ系でした。 しかし、原文読破された方(3人もいた!)や少なくとも現代語訳は読破の方はさておき、本書だけでビバビバはちょっとどうかと思う、けど、それはまあ言わないでおいた。追記したい不満はふたつ。

 まず、もう少し補助線が引けたのではと思う。たとえば冒頭から延々血筋自慢、先祖親戚自慢が続き、うんざりする。それは実際、紫式部がそういうことを延々書いてるからなんだろうけど、じゃあ、なぜ彼女はそこをしつこく書くのか。それは出自ですべてが決まる世界に生きていたからで、私はどこの馬の骨かわからないようなものじゃないと必死でアピールしなきゃならなかったからでしょう。自分でアピールしないと誰も知らないレベルの出自だから。そのへんをうまく盛り込んでくれたら、もっと紫式部を好きになりようがあった気がする。私にとって本書の最大の欠点は、読了しても紫式部を好きにはならなかったことだ。まあ、好きになった人も多々いたようだけれども……。

 もうひとつは、繰り返し語られる“物語”というジャンルの地位の低さを、具体的に示して欲しかった。今でこそ世界に冠たる『源氏物語』だけれど、当時の人々にとってどういう感じだったのか。和歌や日記が純文なら、今でいうラノベくらい? それとも道長におまえあんなもん書いてるんだから好きものだろう的なからかいを受けているところからして、エロ本、は言い過ぎとしても、ライトな官能小説とか。物語を読んでいるって小っ恥ずかしいけど、源氏だけはちょっと別格だったとか。そのあたりの機微も伝えてもらえたら、紫式部清少納言和泉式部のことを“学がない”と書かずにはいられなかったのにも納得が行く気がする。私は物語みたいなもんしか書いてませんけど、あんたたちよりよっぽど学はあるんですからね、とアピールせずにいられない、ジャンル・コンプレックスみたいなもんがあったのではと。まあ、のちに君は、ひとりワールドクラスの有名作家になっちゃうんですけどね。