タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

悪人

悪人 新装版 (朝日文庫)

塾の課題です。

 

救済癖の〝悪人〟

 

 「ごちそうさん、まずかった」吉田修一『悪人』の中でもわかりやすい悪人、殺人事件のきっかけを作る大学生の増尾圭吾は、屋台のラーメン屋を出るときにこう言って、周囲の空気を凍りつかせる。しかし増尾の親友 <鶴田は圭吾のこういうところが好きだった。実際、観光客相手の料金だけが高い屋台だったのだ。>と、イメージがくるり反転する。『悪人』最大の魅力はこのように、次々と視点を変えて、主要登場人物を多角的に肉付けしていく点だ。若い女性が山中で殺された事件の犯人は早々に明かされる。ではこの事件に関与した人々の中で、いったい誰が〝悪人〟なのか。

 主人公の殺人犯、清水祐一は、長身でつい見入ってしまうほどカッコいい、と繰り返し記される。ルックスは抜群だけれど無口で面白味のない土木作業員なので、全然モテたりはせず、車だけが趣味で祖父母と田舎で地味に暮らしている。その祐一の人物像を膨らませるのは、初めて入った風俗店で相手の女性に恋した逸話だ。手作り弁当持参(!)で通い詰め、エッチをがっつくより腕枕が好きとまるで乙女。女性がふと漏らした言葉を真に受けて即座にふたりで暮らすアパートを借り、気持ち悪がられて逃げられる。悲しい。無骨ながら家の近所の老人たちにも親切な祐一なのに、悲しい。

 件の風俗嬢は物語の終盤、祐一に関して重大な事実を語る。幼い頃母に捨てられ、祖父母に育てられた祐一だったが、母と再会するようになって金をせびっていると女に明かす。 <欲しゅうもない金、せびるの、つらかぁ>と言う彼に、女がならやめればいいと返すと、<でもさ、どっちも被害者にはなれんたい>。息子の逮捕後、テレビで <もの凄い剣幕で「私は私なりに、充分に罰は受けたとですよ!」> とインタビュアーに反論する祐一の母。そう言えるのは、息子が金をせびってくれたからなのだ。

 小説の最後、祐一と逃避行を共にした光代の問いかけ「あの人は悪人だったんですよね?」にも私は答えたい。「いやいや、悪人はあんただよ」と。一見地味でおとなしそうだが、祐一の自首の機会を奪い、高校時代の恋愛の逸話からも明らかな粘着質を発揮してそばを離れず、祐一の宝である車まで捨てさせた。〝悪人〟と化してあんたを被害者に仕立ててやらなければならないところまで、彼を追い込んだのは誰だよと。どんだけ刑期マシマシだよ。気づけよ。いや、気づかれたら、せっかくの祐一の自己犠牲は台無しなのか。いやはや。本書のタイトルは『善人』でもよかったのかもしれない。人を殺めたことは、大きな大きな罪ではあるけれども。