タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

火花

火花

 

塾の課題です。時間に追われてババババと書いてしまいました。スミマセン、とどこかに向って謝る。

 

才能の残酷

 

「師弟関係の完成は破門だ」と言ったのは確か橋本治だったと思う。又吉直樹『火花』はひとりの若者が師を見出し、〝師匠の他からは学ばないと決めた〟ときから、〝僕の前を歩く神谷さんの進む道こそが、僕が踏み外すべき道なのだと今、わかった〟と師匠を「破門」するまでを描く小説とも読める。

 一読すると切ない青春小説にも感じられる『火花』だが、改めて読み返すと漫才論、笑い論で埋め尽くされた、実に理屈っぽい小説だ。けれどもそこに実践版とも言うべき芸人同士の会話、漫才の場面が挟み込まれるせいか、理屈がごつごつと目障りに居残ることはない。〝「お前は親父さんをなんて呼んでんの?」「限界集落」〟と、〝漫才とは二人で究極の面白い会話をするものであるという根本〟を日常の隅々にまで持ち込んで、せめぎ合う若手芸人たちの大半は、世に出ることはない。あるいはいったん世に出てもたちまち消費され、消えていく。自らのコンビ、スパークス(火花)の解散ライブを語り手の徳永は〝「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました。僕達が覆せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです〟という口上で切り出すが、それでも彼は〝この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う〟と芸人としての日々を振り返る。才能は残酷だ。才能の多寡が残酷であり、才能を生かせるか否かが残酷であり、才能にいつ見切りをつけるかが残酷である。でも人は芸人ならずとも、その残酷を生きるしかない。〝淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん〟と神谷は言い、企業の華やかな花火のあいだに紛れ込んだ、個人のプロポーズのための貧弱な花火を、群衆の祝福の拍手と歓声が救う。そして、とてつもない無謀の中にい続けるかつての師を眺めつつ、徳永は〝生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。〟と、出会いのとき命じられた神谷の伝記ノートにその日の出来事を綴る。

 結末のエピソードには賛否両論があるようだが、〝なんでも過度がいいねん。やり過ぎて大人に怒られなあかんねん〟という自らの言葉通り、神谷は永遠に「神の愛でし子」であり、徳永は今やその神谷を叱る「大人」となったのだ。〝理屈っぽさと、感情が爆発するとこと、矛盾しそうな二つの要素が同居するんがスパークスの漫才やな〟と神谷は評したが、奇しくもそれはこの小説『火花』評にもなっている。

 

 他の複数の受講生から、出てくる女性が〝芸人に都合のいい女ばかり〟という指摘があり、確かにそれはその通りで、「まるで〝浪速恋しぐれ〟」の突っ込みに笑ってしまいました。スカウトされて面接に行ったら実は風俗で、断れなくて風俗嬢になる、というのも、どんだけ知性が絶不調の人なんだー、っつうか男の人って、簡単にそういういきさつ話を信じるのかと、読み流して忘れていた疑問が沸々と。

 しかし、これだけ〝漫才論〟な小説を書いてしまって、お笑いやりづらくないのかな。あと、お笑い芸人さんたちは、実のところ、この小説が展開する笑いの理論をどう考えているのだろう。