トルーマン・カポーティ年
写真探してて見っけ。この本も読みたいなあ。
去年の12月の塾の課題です。お題は「今年の1冊」
ひょんなことから人生でいちばん忙しい年末年始を送ることになり
ブログもなかなか追っつかないのでありました。
去年の秋に天涯孤独となって以来、身に余る不幸に肩まで浸かり、ぼんやりしていた。1年で150冊近くの本を読んだ。そんな中のたった2冊なのだけれど、今年は私にとってトルーマン・カポーティ年だった気がする。
5月に“Capote : a biography ”Gerald Clarke, 1988(注1)を読了した。まだふたり家族だった頃から、寝る前に少しづつ読んでは、スマホを手にしたまま眠っていた。(電子書籍です。)700ページ近くある本をちびちびと半年以上かかって読んだので、読み終えた日にはなんだかカポーティと死に別れたみたいだった。カポーティが抜けなくて、そのまま深夜に“Music for Chameleons”を読みだした。30年以上も前に買ったペーパーバックで、紙も茶色く変色している。こちらは翻訳も普通に入手可だ。(注2)。
カポーティの人生は華麗と悲惨が交錯している。華麗な才能、華麗なキャリア、華麗な人脈の一方で、悲惨な幼年時代、悲惨な恋愛関係、悲惨なアルコール・薬物中毒。妖精さながらのアンドロギュヌスは、チビ・デブ・禿げのゲイとなり、大ベストセラー作家から書けないアル中作家に転落して、30年来養ってきた恋人にも愛想をつかされ、最後は消え入るようにこの世を去った。
<神が才能を授けるときには、鞭も手渡す。そしてその鞭はもっぱら、自分を打つためのものなのだ。>『カメレオンのための音楽』の序の一文は、〝天才〟と呼ばれる者の生の残酷を端的に突きつけてくる。
生前最後に発表されたこの作品集は、カポーティのエッセンスを凝縮した一冊だ。自らの文学的人生を回顧した「序」は格好のカポーティ文学ガイドだし、最初の6編はモーパッサンを彷彿とさせる〝うまさ〟の際立つ短編。次に代表作『冷血』のノンフィクション・ノベルの系譜に連なる中編「手作りの棺」。連続猟奇殺人事件、主人公の刑事の尋常でない巻き込まれっぷり、そこに取材者としてずぶずぶクビを突っ込んでいくカポーティのありようと三拍子揃って、どこまで事実なんですか〜小説より奇なり過ぎ〜、とシャウトしたくなる。
そして最後に〝耳の作家〟カポーティの面目躍如の「会話によるポートレイト」7編。恩師の葬儀の日のマリリン・モンローをスケッチした「美しい子」は、モンローの危うい美しさをそっとすくい上げた絶品。ノーメイクで12歳くらいに見えるマリリン(当時29歳)を、誰もが好きになってしまうだろう。また、セレブ好きカポーティの意外な一面を示す「一日の仕事」では、黒人掃除婦の仕事ぶりをレポートするのだけれど、なにかといえばマリファナをキメちゃうおばちゃんとの珍道中、決して対セレブだけでない、カポーティの人の懐への飛び込み力を堪能できる。
野坂昭如の翻訳に関しては、ご本人が「訳者あとがき」の結びで <どれほど拙劣な訳でもカポーティはおもしろい> と断言している。究極のカポーティ礼賛、かもしれない。
注1: 翻訳は『カポーティ』ジェラルド・クラーク著 中野圭一訳
文藝春秋社 1999年 アマゾン・マーケットプレイスなどで入手可
注2: 『カメレオンのための音楽』トルーマン・カポーティ著、野坂昭如訳
ハヤカワepi文庫2002年