タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

二十四の瞳

二十四の瞳 (新潮文庫)

もちろん塾の課題です。

壺井栄を舐めてはイカンです。

提出したものは↓

 

24eyes

  小さな村の小学生は、五年生になると片道五キロの本村の小学校へ通う。< てづくりのわらぞうりは一日できれた。それがみんなはじまんであった。まい朝、あたらしいぞうりをおろすのは、うれしかったにちがいない。じぶんのぞうりをじぶんの手でつくるのも、五年生になってからのしごとである。日曜日に、だれかの家へあつまって、ぞうりをつくるのはたのしかった。小さな子どもらは、うらやましそうにそれをながめて、しらずしらずのうちに、ぞうりづくりをおぼえていく。> 可愛いっ! 可愛すぎる! ぞうりにハートを鷲づかまれだ。

 壺井栄二十四の瞳』はもはや大昔の出来事とはいえ、高峰秀子主演の映画の大ヒットのせいで、イメージの手垢に汚れまくっちまっている。〝涙涙の師弟愛&反戦〟のレッテルベタベタ。でも実は、こんなに瑞々しく始まるのですよ。そして、既存のイメージから大幅にずれることはないとはいえ、微妙に意外な展開もある。

1.洋服と自転車で颯爽と登場した大石先生は、二学期の初日にアキレス腱断裂で早々に分教場をやめてしまい、本校勤務となる。ゆえに学校で再び24eyes(私がつけたニックネーム?です。ベタな直訳です。)を教えるのはみんなが五年生になってから。

2. 24eyesと本校で再会したとき、大石先生は結婚したと生徒のひとりの小ツルが言うのだが(あっという間に人妻)、それはデマだったのかと思うくらい、大石夫の影は薄く、苗字も変わってない。婿養子らしい。

3. そして、24eyes が小学校を終えてそれぞれの進路へと旅立っていくとき、大石先生も戦時下でなにかと言えば赤、赤と監視の目の光る学校に嫌気がさして、あっさり教師をやめてしまう。意外や、さして教職に執着のない大石先生。

4. 8年後、3人の子持ちとなった大石先生。やっとちらり夫が登場する。徴兵検査に向かう24eyes男子に遭遇。

5. さらに5年後、敗戦、夫戦死、大石母&末娘病死で、6人家族が半減! 稼がにゃならん大石先生、分教場に復職。

6. 大団円同窓会。24eyesもほぼ半減。男子5人中3人戦死、ひとりは盲目に。女子はひとり病死、ひとり行方不明で、産婆と教師の職業婦人がふたりいるが30前にしてすでに〝オールドミス〟と呼ばれている。戦死者多数で男が少ないのだものね。

 同じく職業婦人の大石先生は昭和3年、第1回普通選挙の年に教師になり、40になって老朽(今ならパワハラ&セクハラ!)と呼ばれつつの臨時採用での復職だ。女子7人中、専業主婦はただひとり。風俗系ふたり。女子もまた戦争の荒波に翻弄されている。

 映画『二十四の瞳』を観たある人の感想は偽善的。その是非は未見のわたしには判断できないが、小説の大石先生は反戦というよりは厭戦的で、庶民の実感として、やたらと好戦的な男の子たちの姿ともども説得力を持つ。

 

 私は最初に引用した部分が本当に大好きで、それさえ紹介できたら本望じゃと、字数を取ってしまったなあ。

 受講生のひとりの方が「いちばん心に残ったのはスミレの花のにおいのところ」とおっしゃって、

 大石先生が結婚したとひとりの子がみんなに告げたあとのところなのですが

 

そばにくると、スミレの花のようにいいにおいがした。それはよめさんのにおいだというのを、みんな知っていた。

 

 これはなんだ? 化粧品の匂いかと思った人、1名。この界隈では嫁に行くと全員が使う化粧品? 24eyes 母ちゃんたちが使っている気配はないが……。

 

 あと、やはり受講生の方から、大石先生休職の12年は、戦場に生徒たちを送り出す教師、という立場になることを回避するための作者の策という指摘があり、これは鋭いなあと。

 いずれにせよ壺井栄は、固定しているイメージよりずっとうまいし、掘り起こしどころありで、多角的な読みが可能なのだなあと。