タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

これからのマルクス経済学入門

これからのマルクス経済学入門 (筑摩選書)

 

もち塾の課題です。

提出したものは ↓

 

マルクス経済学はつらいよ

 

  苦悶読書。松尾匡・橋本貴彦著『これからのマルクス経済学』。それでもなんとか読み終えて、いかんこれではマルクス嫌いになっちゃう、とうちにあった内田樹石川康宏著『若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』で口直し(失礼)。果敢にも略称『これマル経』の再読に挑む。

 初回、私の中に渦巻いた思いは、弁解かよ、まどろっこしい、なんじゃこの用語、マルクス経済学を救うとか私ら関係ないし、などなどであったが、その底流に、ひょっとして私の頭が悪いだけ?という不安がひたひたと流れていたことも否めない。

 2回目、1、2章はそんなに抵抗ない〜。悪い頭が慣れてきたか。3章、アカン、やっぱりイライラする〜。

 略称『若マル読』にははっきりと<マルクスの経済理論や政治理論は、もう現実政治では「賞味期限切れ」だと思われています。>と書いてある。『これマル経』も<世間からは「現代社会からズレまくった一九世紀の遺物」ぐらいに思われている>と認めている。そこをひっくり返す難事業というのはわかるのですけどねえ。

 本書が使えるマルクス主義経済学概念として挙げるのが「階級」、「疎外」、「唯物史観」、「投下労働価値」。「階級」意識を持たないと不満が「アイデンティティー」方向に向かって排外主義が噴出すると著者は脅すが、今時階級意識って……あ、99%……WE ARE THE 99%(注)ならピンとくるのにね。

 「疎外」、「唯物史観」はまあいいとして、「投下労働価値」まわりですよ、私のイライラの元は。必要労働(必需品)と剰余労働(奢侈)、前者は労働者が賃金で手に入れ、後者は資本家が利潤で〜って、いくらなんでもざっくりすぎません? で、労働者が手に入れられないもののための労働は搾取。とにかく肝は労働配分なのだときて、そこから、<どうして税金というものが存在するのか、考えてみたことがあるでしょうか>とか<消費税でまかなうとすれば、それが何を意味するかわかりますか>とか、上から目線の感じの悪い文章が説くのは、税金をかけるのはその分野の消費を減らし、労働を浮かせ、必要なところへ割り振るためだと。ほんまかいな。<国が潰れることはないのですから、返済分も借金でまかなうことにして、延々と借金を膨らませて何か都合が悪いのでしょうか>って、ギリシア潰れかけてるんじゃないんですか。

 4章になると著者が交代し、数量分析で介護の人材確保も大丈夫だそうで、ほっ。社会的ニーズに答える社会システムをどう実現させるのか、その検証に投下労働価値分析は有用なのだ、<従来型の生産を維持・拡大させるために>、<労働者からすればさして必要でないものを生産している>ことを第3章では<「搾取」と呼んだのでした。>と説明して、例としてリニアモーターカー原発が挙げられる。これならすんなり納得。

 3章はなんだったのか。やはり私の頭が悪いのか〜。あと『若マル読』の説く<論理の飛躍を「違和感」としてではなく「浮遊感」として読者に感じさせるマルクスの「麻薬性」>が、本書からはまったく感じられないのが残念、というのはないものねだりかなあ。

(注)2011年のウォール・ストリート占拠の際のスローガン。

 

 

 書ききれなかった部分として、何人かの方が引用していた

<若者が身近な生活にかまけていることを見下しながら、「若者はもっと政治に関心を持て」と言うから、それを真に受けて政治に関心を持った若者がネトウヨになるのです。>(斜体部分原文は傍点)

 に果たしてそうだろうかと疑問を呈し、その前段

 与野党ともに<一人ひとりの生身の有権者の利害から遊離したところで「安保」だの「財政再建」だのと、宙に浮いた天下国家論を振り回す、悪しき作法がまかり通るようになった>

 に対して、「安保」も「財政再建」大事だし、そもそもマルクス主義者が天下国家語らないでどうする!、と批判したところ、

 先生が松尾氏の別の著書の内容を紹介されて、松尾氏いわく、自民党に勝つには自民以上の財政出動をやるのじゃ、安保だなんだ言ったって、子育て介護に疲れた人、家賃の支払いに困っている人にとっては、そんなもんどうでもいいんだ、目の前の問題をなんとかしてくれ、なんだ、と。

 で、その財源はどんどん札を刷ればいいのだと。

 私、経済学に疎いのでよくわかんないんすけど、札刷りゃノープロブレムなら、どこの国も苦労しないんじゃね?

 なんか信用できんし、庶民の立場に立っとるようでいて(階級意識ってやつですかい?)見下してる臭がするし、なんかもうマルクス主義者っつうよりマキャベリストの香りだし……。

 一方で、日本の政治状況はそこまで来ちゃってるのかいなあと、陰々滅々がふつかほど続きましたとさ。

 やはりパタゴニアで凍死か。(今まで思いついた中でいちばん痛くなくて美しげな死に方なんだけど、問題は寒いのと我が最愛の人が眠るバリや日本から遠い。パタゴニアで死んでも会えるかなあ。)

 

若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)

A Beautiful Child

Music for Chameleons: New Writing (Penguin Modern Classics)

 

きのうの深夜3時頃、ついに “Capote” を読み終わった。

Capote: A Biography

すぐには眠れない。つい今しがたカポーティを亡くしたような気分。

晩年はすさまじかったし、いちばん近しい人を喪って1年もたたない私には

いろんなフラッシュバックもあった。

何か読まないと眠れない。

でも、塾の課題のマルクス本にするりと移れるわけもなし。

スティーヴン・ミルハウザーも無理。

 

そうだ、大昔に買った “Music for Chameleons” があった。

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30年以上!?前。京都河原町三条のふたば書房でバイトしていた頃に買ったもの。

冒頭の現在入手可能のペーパーバックとはまるで違う。

 

何年か前、そう映画の『カポーティ』を観たあとで何編か読んで、文章が美しい〜とうっとりした記憶がある。

今夜はカポーティのお弔い。

マリリン・モンローの秀逸なポートレートという “A Beautiful Child” を読むことにする。

モンローの演技の指導者だったコンスタンス・コーリアーのお葬式の場面から物語は始まる。コーリアーがモンローの壊れもののような才能と魅力をそっと掬い上げる言葉が透き通るように美しくて、これは本当に彼女の言葉だったのかカポーティの脚色かと考えてしまう。カポーティは自分の耳に絶大な自信を持っていた。これも彼の耳が吸い取り記憶中枢に刻み付け、作家のフィルターを通して見事に再現してみせた言葉なのか。

モンローははかなげで蓮っ葉でキュートだ。コーリアーが亡くなったのが1955年だから、このときモンローは29歳だけど、ノーメイクの顔は12歳に見えたというカポーティの言葉は、決して大げさではなかったのだろうと、この短編は思わせる。

お葬式が終わり、ふたりは人目を避けて中華レストラン、さらには埠頭へと向い、その間ずっとおしゃべりが続く。オチも見事。

 

日本語版の翻訳はなんと野坂昭如

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

 

合わせて読んでみたくなる。

まさか「マリリン・モンロー・ノーリターン」(野坂昭如の歌手としての代表作のひとつ)だから野坂昭如になったわけじゃないんだろうけど。

私は一度だけ、実物野坂昭如を見たことがある。

高校生のときだ。帰りの環状線の中で友だちのひとりが今日阪急デパートに野坂昭如が来ると言った。4人グループのうちの誰ひとり野坂昭如のファンではなかったのに(女子高生がファンになるような作家じゃないし)、なぜかそのまま野坂昭如を見に行こうということになった。

うちの高校は私が入学した年から制服自由化で私服通学OKになっていたが、旧制服も販売され、ほとんどの学生がそれを買っていて、制服で学校に来る学生のほうが多かった。私はその制服の中途半端なグレーとかスーツのデザインとかが大嫌いだったので、制服を持っていない少数派のひとりだった。その日も私以外の3人は制服姿だった。

野坂昭如のイヴェントはミニ・ライヴのようなもので、野坂はバンドをバックに、あの吃音のMCをはさみつつ、けっこうヒットした「黒の舟歌」や「マリリン・モンロー・ノーリターン」などを歌った。そして「バージン・ブルース」を歌う前に、〝あなたもバージン、わたしもバージン〟というリフレインのあとに、バージンの人はパン、パンと手拍子を入れろと言った。曲が始まり、そこに来たが、5、60人ほどの観衆の誰ひとり手を叩かない。野坂は「ちゃんと叩いて」と指示するも、次のリフでもシ〜〜ン。3回目、野坂は私たちのほうを指差し「そこのグレーの制服の人たちもバージンじゃないっていうのか?」と怒った。気まずい。と、隣の友だちが小声で「バージンって何?」とつぶやいた。ほかのふたりもぽかんとしている。私はもちろんバージンって何か知っていたけど、そのままばっくれた。

 

A Beautifu Child は知らない単語は辞書を引いて、丁寧に読んだ。

書き込みはもちろん、BLACKWING・602

HALF THE PRESSURE, TWICE THE SPEED ですから〜。

 

 

鉛筆ブームきたる ?

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最近ずっと “Capote” を読んでいる。

Capote: A Biography

 

K先生の講座が次回はカポーティまわり、ということなので、読み終えたい。

けど、Kindle なのでボリューム感がわからないけど、すんごい分厚い本なので

まだ70%だよ〜。密林市場で絶版の翻訳本を買った友だちによると、厚さが5センチ近くあって2段組みだそうだ。定価¥6000!

ただ、注やら参考文献やらが延々あるので、本文は85%くらいんとこで終わるんじゃないかなと期待。見ればわかるのだけれど、そこはお楽しみってことで。

70%時点でカポーティは50歳くらいで、『冷血』以降下り坂人生まっしぐらだ。

残念すぎる恋愛遍歴中。けれども、今んとこは、あー、もうこんな悲惨な人生読みたくないよー、とはならない。むしろ、華麗かつ大量すぎる登場人物のみなさん、事件の数々に、あちゃこちゃ興味が拡散して、ついつい調べものに走りがち。私の iPhoneKindleGoogle をせわしなく行き来している、ので、よけい進まない。

そんな中、もう少し前の 65% あたりだったかで、いよいよ締め切りが迫ってきてトルーマンも「ブラックウィングを削らなきゃならなくなってきた」的な記述が。むむ? ブラックウィングって鉛筆? そういえば、最初の方に若い頃のトルーマンがちびた鉛筆で執筆しているって話が出てきたような。

 で調べてみると(こんなことしてるから進みません)

yamadastationery.jp

なんだかカポーティだけじゃなく、さまざまな有名人御用達のすごい鉛筆らしいとわかってくる。

お友だちからも情報をいただく。

flavorwire.com

An ode to the Blackwing 602, Vladimir Nabokov’s favorite pencil - NY Daily News

 

ナボコフも使ってたなんてしびれるねー。スタインベックは『怒りの葡萄』を書くのに60本、『エデンの東』に300本使ったとか。

かくのごとき逸品が¥300 +消費税で我がものとなるのであれば、欲しくなるのが人情。お友だちが売ってる店まで調べてくれました。

ブラックウィング鉛筆 販売店

ネットで買わなくても吉祥寺で売ってる〜。

 

しかし、私には行きつけの素敵な文房具店というものがあるのだ。

まずはそこで訊いてみないと。

家から5分ほどのお店なので、買い物のついでに本日、小雨の降る中、行ってきました。

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さっそく訊いてみたところ、

ま、なかったんだけど、さすが文房具のプロ、吉祥寺の〇〇ならあるはずです、と即答。それからお店にある鉛筆の話などうかがったのだけど、小学生は5年生くらいまではシャーペン禁止の鉛筆オンリーなのだって。なんででしょうねぇ? ノックしたり、芯が折れたりで、集中力が途切れるからじゃないでしょうか。なるほど、だから、作家も、宇野千代とかもそうだったけど、綺麗に削った鉛筆をずらり並べて、書くぞっ!って、一気呵成に〜。ずらり並べて書くぞって! いい感じですよね。いい感じですね。

小学生6時限分、6本をきれいに削って持って行く〜。

そういえば私は、よく鉛筆削り忘れて、ぶっとい芯ばっかになっていたなあ。

小学生からダメダメだぁ〜。

てなわけで、鉛筆(も)買っちゃいました。

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ブルーのが LYRA というドイツの老舗メーカーの2B

お隣は七色鉛筆。マルチカラー好きの私。

どちらも¥64(消費税込み)だ、許してくれ。

 

家に帰って、手持ちの鉛筆総ざらえチェックをしてみる。(文房具屋さんに行く前にやれよ、と自分を叱る。)

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サンリオのは高校時代に友だちがなにかでプレゼントしてくれたもの。

隣の2本は確か、おばあちゃんが買った文房具店の福袋に入っていたもの。

次2本は不明。次のサンリオは友だちにもらったか自分で買ったか。

その隣、ちっちゃい〜。使い切らないと捨てられない性格。

最後、IKEAでもらったのも捨てられない性格。

中学生のときの友だちのPちゃんのお父さんが海外旅行に行ったときのおみやげの

アポロ11号月着陸記念鉛筆(紅白)とフランス製マーブル柄鉛筆

思えば比較的大切な鉛筆の所在が不明。

今後の整理整頓のモチベーションになるかも。

 

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色鉛筆陣。

おそらく小学生時代のものの残りと思われる。

私は黄緑、紫、紺、茶色などがあまり好きではなかったらしいね。

いっちばんちびてるやつにトナリノで買った素敵なホルダーをつけ、素敵な消しゴム製キャップもつけて優遇。使い切る気満々。

でも、死ぬまでにこれ全部使い切れるんでしょうか?

手帳のスケジュールの強調とか、ケーブルテレビの録画する番組の印付けに使うくらいで。

私は死ぬまで小学生時代の色鉛筆の残りを使い続けるのか。トルーマン・カポーティもびっくりの人生だなあ。

 

ついでに消しゴム陣

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亡くなった彼の分もあるので。

これは鉛筆をぐいぐい使えば、使い切れそうかな。

 

以上のような可視化によって、ブラックウィング欲が抑制できた

かと言うとそうでもなくて、やっぱどんだけ書き心地いいのか試してみたいよねー。

ちなみに、IKEA と超ちびってると LYRA で書き比べをしてみたところ、さすがにタダで配っている IKEA は薄い硬い書き心地悪い。LYRA するり。超ちびり意外と柔らか〜。そういえば『円卓』のこっこは4Bでぐいぐい、とかだったなあ。

トナリノさんによると、小学校低学年は2Bだそうです。

 

おまけ : 先日買ったノート

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裏も可愛い。

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ムーミンは今日はもうなかった。(:_;)

忘れられた日本人

忘れられた日本人 (岩波文庫)

塾の課題で初めて宮本常一を読みましたとさ。

 

歌とエロ 

 

 編集者向けの「使ってはいけない用語集」、〝百姓〟の次が〝水呑百姓〟で、普通気づくわと笑ってしまったことがある。今やほぼ差別用語&死語と化した〝百姓〟を愛情と敬意を持って連発するのが、宮本常一『忘れられた日本人』だ。

 飢饉に備えて備蓄を怠らず<一生うまい米を食うことは>ない、<ラジオも新聞もなく土曜も日曜もない、芝居も映画も見ることのない生活>の中で、百姓たちの楽しみは歌であった。生涯身を粉にして働き、慎ましく暮らした著者の祖父の<たのしみは仕事をしているときに歌をうたうこと>だったし、<生涯めとらず、すきな歌をうたいのんきに仕事をして一生を終わった>、<田植え時期になると太鼓一つをもって方々の田へ田植え歌をうたいにいった。盆になれば踊場へ音頭をとりにいった>祖父の祖父の話など、いかに歌が百姓の生活を彩っていたかがよくわかる。

 その歌と並び、密接につながってもいる数少ない娯楽?のもうひとつが「性」で、歌垣で未婚、既婚の区別なく男が女に体をかけさせる地域もあれば、夜這いのハウツーや五箇条の御誓文の意味を取り違えてのカカヌスミ、 <この時はらんだ子は父なし子でも大事に育てた>という乱行の風習なども語られる。

 また意外なのが<昔にゃァ世間を知らん娘は嫁にもらいてがのうて>と、若い娘ばかりでお金も持たず、いく先々で働きながらの長旅。そこでは恋も芽生えるし、故郷へ帰れば<旅の文化>をひけらかすという、まるでワーキング・ホリデイみたいな女子活動だ。

 そして自由といえば土地に縛られた百姓とは対照的な流れ者の世界。若い頃、奔放な旅をして世間師と呼ばれた男たちと並んで、著者に〝土佐源氏〟と名づけられた、元博労の盲目乞食爺の色語りが強烈な印象を残す。どうやら性病で盲目になり、30年前!から最最底辺の生活を送る爺さんは、 主にふたつの甘美な色事の思い出に浸って生きている。

 そのふたつに共通するのは、どちらも相手が身分違いの美しく優しい既婚婦人であること。村落共同体に属していなかった爺さんは夜這いすることもかなわず、幼少期を除けばもっぱら後家相手に性体験を重ねていたのだが、このふたりだけは特別な道ならぬ恋であった。

 この恋を甘美にしているのは、なんといっても相手の社会的身分、役人の嫁、庄屋の妻であることで、ふたりがその身分を捨て、夫とは違って優しいこの博労と駆け落ちでもしたなら、たちまち魅力は色褪せ所帯染み、やがて捨てられただろうことは想像に難くない。これが男女が逆で女の身分が低く男の身分が高ければ、結婚にこぎつけぬ限り〝遊ばれた〟だけであり、これまたありふれた話となる。結局、爺の色語りの果てに残るのは、ちょっと優しくされると身を許す、あの嫁さんたちはよほど孤独で不幸だったのだなあ、夫はろくでもねえなあ、という思いだ。

 最後に私が採集した話をひとつ。三重県の山奥のある地方では女性器の俗称が〝おたべ〟であった。ある人が大学進学を機にその地方から京都へ移り住んだが、都大路の看板にでかでかと〝おたべ〟と書いてあるのを見て驚愕したという。(注)

 

注 : 〝おたべ〟は生八つ橋で餡子をくるんだ京銘菓

 

 70年代になると夜はみんなテレビを見るようになって、宮本常一は夜の調査ができなくなってしまったという話が印象的でした。受講生のひとりの方の指摘にもあったのですが、そうやってテレビを通じて日本全国が標準化されていってしまったのだなあと。

 

 

馬たちよ、それでも光は無垢で

馬たちよ、それでも光は無垢で

 

塾の課題です。お題は 3.11 本。バタバタのうちに時間がなくなり、近所の古本屋めぐりでなんか見つかるべーと思ったら、簡単に見つかったけど、えれー目に遭いました。

提出したものは↓

 

小説の必然、必然の小説

 古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮社2011年)は、帯の〝最新長編〟(注)の文字がなければおそらく誰も小説とは思わない、中盤までずっと震災直後からの著者の身辺雑記及び心情の吐露が続くのを小説と言い張る奇妙な作品だ。

 ショック状態の中で時間の単位が消失し区切りが消えてしまったような「神隠しの時間」の焦燥と不安が、たたみかけるような性急なリズムで綴られていく。福島県出身の作家である古川の苦悩は深い。いったいいつ物語が始まるのだろうと少し身構え当惑しながら、私はこの「小説」を読み進めていく。そして62ページ目にしてついに古川の以前の小説、作家自身がメガノベルと名づけた大長編の登場人物が現れる。<書け。私はこれを書け。(中略)しかしそんなことを書いてしまったら小説だ。この文章が小説になってしまう。>ええっ、どっちやねん、どないやねん!と大阪人は全員つっこむと思う。さておき。

 <次第に瓦礫とは、〝瓦礫〟でない事物の百もの千ものの集まりなのだと認識する。> <私たちが歩いていると私たちは被災のその現場の地面に、砂に、足跡を残した。すると侵しているのだと感じないではいられなかった。穢しているのだと感じないではいられなかった。>などの繊細な記述に、作家が震災直後の被災地を記録する、それで十分ではないかと凡人読者は思うのだけれど、<この文章を決定的な〝本物〟にすることで私は何かの、やはり決定的な救済を望んだのだ>と述べつつ、小説家として見えないものを見、聞こえないものを聞くべく、古川は狗塚牛一郎なる『聖家族』の主人公に語らせる。と思えばいつの間にかまた作家が前面に出て、<私たちは人殺しの歴史しか持たない>と戦国武将を語り、無意識の隠蔽のための濾過装置である正史ではなく、きちんと揺らぎとして機能する稗史、外史によって東北を描く必要性を説く。

 <「物語が必要か? 」>と牛一郎はまた語りだすが、それは物語というよりは馬をめぐる日本の、東北の歴史解説じみて、相馬氏の築城史の最後には福島の原子力発電所……築城はひたすら続く、で「物語」はいったん中断。古川はニューヨークへ行き、311に911オサマ・ビン・ラディンの殺害が重なり、再び被災地へと時間軸は戻って、牛一郎は時空を旅して数々の馬に出会い、最後には彼も「物語」から消えて飢えた白馬一頭。

 「物語」が「小説」が液状化して、作家の貼るレッテルだけでかろうじて体(てい)を保っている。それでも小説家はあくまで愚直に「小説」を書こうとあがく。そのあがきは生々しくも誠実だ。

 あの震災がなければこのような液状化小説が発表されることはなかっただろう。その意味でこの「小説」は100% 「311小説」だ。

 (注)現時点ではすでに最新作ではなく、本作で書けない書けないと言っていた古川氏はその後10作も発表している。ご安心ください。

 

 〝間違いだらけの課題本探し〟というタイトルでもよかったかしらん、でしたが、意外や、あの書評の書きにくい古川日出男でよく書けましたと、先生に褒めていただきました ♪  幸せ〜 ♪

 しかし、私はたまたま間違った古川日出男を選んでしまったのだと思っていたけれども、どうも、古川日出男は多かれ少なかれこうなのかなー、むむむむ、古川日出男

日常生活の肖像 非日常が日常の人 派遣添乗員Sさん

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インタビュー塾の課題です。

プライバシー保護のため、提出したものに少し手を加えました。

 

非日常が日常の人

 

 ♪出発前

 ツアーは通常8日間がいちばん多いです。長いのだと3週間くらいのもあるけどね。  まずは打ち合わせだけど、今メインの会社だったら出発の3営業日前。午前中、前の仕事の精算をして、午後、打ち合わせで初めてお客さんの名簿などの資料をもらいます。で安心コールといってお客さまに電話をする。お世話になっております。今度ご一緒させていただく添乗員でございますって。打ち合わせはだいたいそんなもん。仕事の依頼は約1ヶ月前だから、下調べとかが必要な場合はそのあいだに。

 

♪出発

 今、空港でのチェックインは個人だね。受付して今後の流れのプリント配って、チェックインしてもらう。

 今私たち時給なんですよ。労働時間をきっちり管理するってことになって。でも、時給にしたらいきなり給料が跳ね上がったんじゃ会社も困るんで、飛行機に乗ってるあいだは時給つかないことになって。拘束されてるのにって不満もあるけど、しかたないかなと。

 ただ、そんなのお客さんにとっちゃ関係ないよね。しかも今のメインの会社は添乗員のランク、成績はアンケート評価で決まって、それがしっかり給料に反映する。仕事量にも影響するから、自腹切ってお客さんにプレゼントあげたりする人もいるんだけど、私はキャラ勝負ということでお金は使わない。でも、人間の仕事だからさ、今時給外だから口きかないってわけにはいかないよと。

 機内では、昔はねー、とっとと寝ろって感じの指示だったの。次はお酒は慎め。その次はお酒は飲むなに変わって。まあ要は苦情がなければOK。だから1回の酒が命取りになる人もいれば、酔っぱらってお客さんに起こしてもらってもなんでもない人もいる。会社にもよるしね。服装もすごく厳しいとこもあれば厳しくないところもある。ま、どこの会社も長くやればやるほど楽になってはいくね。

 

♪到着

 目的地に到着。バスが来ます。でみんなでホテルにチェックイン。ヨーロッパだったら当日はホテルに入っておしまいかな。早い飛行機だったらホテルに入ったあとにスーパーマーケットへご案内。みんなスーパー好きなんだもん。連れてけって言うんだもん。

 ヨーロッパの場合は通常その日は観光は組まない。ただ夜便の場合は朝着くから、そのまま観光だったりしてハード。

 

♪旅の1日

 人件費の安い国ではスルーガイド、ウェルカムからバイバイまでずっと一緒のガイドがいます。日本語もしくは英語のガイド。ヨーロッパの場合はほとんどがスポットガイドで、観光の場所にしかいない。タイムカード的に言ったら、朝ご飯をケアするならそこから、出発からなら出発時間から、添乗員の仕事が始まる。

 移動はほとんどバス。私が受けるツアーはだいたいフリータイムがないのが多い。あったとしても昼ご飯から夕ご飯のあいだに2時間とか。たいていは夕ご飯を食べてからホテルにチェックインで、ご飯が6時より早くなることはないでしょ、日本人の感覚として。そうすると、6時半、7時、遅いと8時。ホテルでご飯食べるのは高くつくんだよね。

 毎日だいたいそんな感じで、お客さんと3食をともにしてます。8日間のツアーだったら行き帰り1日づつは飛行機だから、6日くらいはそういう生活が繰り返される。

 夕ご飯終わってホテルに入ったら自由ですね。だから仲のいいガイド呼び出して飲みに行くときもあれば、出かけたりもする。何かしちゃいけないってことはないけど、やっぱり携帯電話は持ってるね。夜中気持ち悪くなったりする人もいるからさ。

 旅行中はあんまり寝ない。4時間、5時間かな。昔はほとんど寝れなかったし食べれなかった。緊張してたんだね。でも、ここ3年ぐらい、寝れるように食べれるようになったから、もうものの見事に太りましたね。(笑)

 

♪添乗員の仕事

 ヨーロッパってドライバーの拘束時間がすごく厳しくて、エンジン入れてから切るまで12 時間超えたらバス動かせなくなっちゃうのね。しかも、12 時間、間隔あけなきゃいけない。お客さんにしたら、なんでこんなに急いでメシ食わせるんだってなっても、大人の事情ってことだよね。だって、高級なツアーなら、お金払ってお迎えに違うバス呼べばいいんだもん。そういうところの時間管理が私たちの仕事。

 ひとつ遅れたらバタバタっと全部狂っちゃうから、旅程時間設定が腕の見せ所。早すぎてもダメで入れなかったりする。お客さんに好かれるなんてことより、募集パンフレットに書かれているサービスをちゃんと実施するための管理だね。タイムキーパーみたいな感じだから、自分に合ってるかもと思う。行くはずのとこに行けなくなると、これは旅程保証で補償金が発生するから。

 

♪楽な仕事、きつい仕事

 フリータイムいっぱいのツアーだと、もうぼーっと、なんもしてませんよ。お客さんの人数でもえーらい違う。仕事をもらった時点でツアー自体が楽かどうかはわかるけど、人数はギリまでわかんないし。

 あと、今回お客さん10 人で旅程もゆったりでラッキーと思っても、ひとりおかしい人いたらアウトだし、誰かウンコもらしちゃったらアウトだよ。(笑)裁判になっちゃうんだから。人から聞いた話だけど。

 いちばんラッキーなパターンは、ゆったりツアーの少人数。高ければホテルもいいとこ使うから不備もない。8日間全食ついて15 万のイタリアツアーなんて言ったら、まーチェックインして半分以上は何々がない、何々が壊れてるで、私が部屋に入れるのは2時間後だから。

 バス移動だと5時間だけど、電車だったら2時間とかね。電車高いじゃん。イタロ新幹線で2時間でぴゅっと着くのが、バスだったら5時間かかるから、その分着くの遅いし、ご飯も遅くなるしで、そりゃ疲れるでしょ。

 あとーやっぱり、いちばん精神的にきついのは人かな。毎晩私を呼び出して、廊下で説教するオバさんがいて。15 分から最長2時間。あの人の部屋があそこでなんで私がここなのよーっとか、廊下でずっと怒鳴るの。 あとは話してる最中に急に立ちションする人とか。お客さん同士がもめるのもキツイね。怒鳴り合いの喧嘩始める人もときどきいるよ。

 

♪旅のトラブル

 私はアクシデントが少ない方で。天候不良で飛行機が着陸できないとかはあったけど。あと、ドライバーが道を知らないっていうのはねー。(笑)安いツアーだと、スロベニア人とか来るんだよ。あの人たちあくまでもユーターンしないから、間違い認めないからね。10 分後くらいに急にたら〜っと汗かいて、歌とか歌いだすから。ナビから目的地消えてんじゃんって。(笑)

 ドライバーはさ、行けないとは絶対言ったらダメじゃん。でも1回だけ、ごめんなさい、わかりません、ここで降りてレストラン探してって歩かされたことがあった。全員降ろされて、人に道訊きながら、私もうわなわなしてて。そのドライバー、何回っもミスっててさ。お客さんもわかってるから、Sさん今の感想は、って訊かれて、時間が時間なんで営業さんに許可は得てませんが、今日はみなさん好きなだけ飲んでくださいって。(笑)

 

♪帰国

 3営業日以内に報告と精算。

 基本的に打ち合わせ、精算以外は日本にいるあいだは休みだから、もうぐちゃぐちゃ。体にはよくないと思う。時差ボケ解消の努力がストレスになっちゃったから、好きなときに寝て好きなときに食べるようにしたら、いっそう戻らなくなっちゃった。(笑)枷がないのと、枷しかないのとの繰り返しだね。

 でも、まだ飽きはこない、楽しくやれる。まだ大丈夫。理想としては、英語をもうちょっとなんとかしたい。もう少しゆっくりしたい。今はもってるけどいつか体力が続かなくなるだろうなと。時差がきついし、帰りは絶対夜便になるから、月に2回、椅子で寝て、まともに睡眠取れないっていうのがね。

 

♪日常と非日常

 人に楽しんでもらうのが仕事っていうのはいいなって。私にとっては日常だけど、絶対に日常にしちゃいけないなっていうのはある。日常にすると手抜くし、日常感がきっと出ちゃう。お客さんにとっては非日常の晴れの舞台だから、何回見てるものでも一緒に驚かなくちゃ。その人たちに見せるのは初めてじゃん。それでテンション上がるでしょ。やー、きれいにマッターホルンが見えました! それはウソじゃないね。その気持ちを忘れている人はいっぱいいるだろうけど、忘れない方が楽しいね。

 

 

 

JUHAで落語と浪曲の会

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きのう3月21で、板坂智夫君が亡くなってちょうど半年がたちました。

私はたぶん、大阪弁に飢えているのだと思います。

彼がいたときは家庭内では私はばりばりの大阪弁で、彼は東京生まれの東京育ちなのに、私に影響されてけったいな独自関西弁をしゃべっていました。それはそれでおもしろいので放置しておりました。

ひとり暮らしってしょうむないですね。私もひとり暮らしは長かったはずなのに、しみじみそう思います。みんななんでひとり暮らしなんかしてるんやろ。

ひとりなので当然家庭内に話し相手はいない。依然家庭内大阪弁ではありますが、それは独り言と、テレビに向ってつっこみを入れる(まあ、これも立派な独り言か)くらいに限られる。つまらん。

そんなんもあって、近所の喫茶店で開かれる上方落語(なんで西荻上方落語なんかは謎のまま〜)と浪曲の会に、友だちの f9 ちゃんを誘って行ってきました。

 

おもしろかった〜。

 

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まずは圧倒的に「声」であります。

観客20人ほどの小さな空間が鍛えられ磨かれた声で満たされます。

思えば最近「声」なんです。

インタビュー塾では他者の声に耳を傾け、自分を透明にして受け止め、拾い上げる。

家族を失って毎朝お線香をあげて祈りますが、若松英輔さんは〝祈りとはむしろ、なにかを訴えかけるより耳を澄ますことではないか〟と書いてはった。死者に向って耳を澄ますと、何か言葉が返ってくるわけではないけれど、束の間、独特の静謐な時間が訪れます。

そして「声」は生ものなんですよね。

小さな空間で、マイクなどなしでプロの人の生の声を浴びて

おっかしな話を聞いて笑う。

私って〝ゲラ〟かなって思うほど、よく笑いました。

大阪弁では笑い上戸のことを〝ゲラ〟って言うんですよ。

浪曲はちゃんと聴くのは生まれて初めてでしたが

伴奏の三味線がめちゃくちゃカッコいいんですよー。

ビーンとひと鳴らしで背景を作り出す。シブい〜。

速弾きのときは、合いの手の声も煽る煽る。

玉川みね子師匠、私はあなたのファンです!

あと、浪曲って歌うじゃないですか。開演前に玉川太福さんも言うてはったんですけど

一緒にご飯食べるような至近距離で、立派な声量で歌わはるので私は倍音がんがん感じました。それで帰ってちょっとネットで調べてみたら、浪曲の源流は「声明」と言われているのですって。そら倍音来るわー。

 

2時間弱ほどの楽しい時間を過ごし、最後はなぜか智六さんとハイタッチして帰ってきました。

 

で、これは本当に帰って、遅くなってから気づいたたんだけど

板坂智夫の「智」、亡くなって六ヶ月の「六」

彼が行っておいでと、楽しく過ごしておいでと背中を押してくれていたのかなあ。

 

落語も浪曲もぜひまた「生」で聴きたいです。