『永山則夫 封印された鑑定記録』と重複する部分も若干あるけれど、それはあまり気にならず、むしろ補完し合う内容。
永山が遺した700人以上の相手との1万5千余通に及ぶ書簡のすべてを読み(!)、さらに綿密な取材を重ねた労作だ。
永山は本当にいろんな人と手紙のやり取りをしていて、人生相談の回答者みたいになちゃってることもしばしばで、いやはや。
永山に手を差し伸べた人も多士済々。
永山裁判に関わった裁判官たちについても実に丁寧に調べられ、描かれている。
だが やはり、飛び抜けて際立つのは獄中結婚した和美さんの存在だ。
東京高等裁判所で無期懲役の判決が出たときのことを、彼女は以下のように語っている。
最後に私が法廷から出ていくと。囲まれましてね。でも私、頭を九〇度下げてお願いしたんです。『皆さんもプロのマスコミならどうか遺族の人々の心も分かって下さい。私を撮るのは止めて下さい』ってお願いしました。
生きて罪を償うということは、私たちにとって助かったっていうことじゃなかったんです。命が助かったんじゃなくって、より重い『ごめんなさい』の始まりだったんです。愛する息子を殺された両親たちのことを思えば、喜ぶなんてできません。無期になったら嬉しいのではなく、生きるということの意味を、どうか分かってほしいという祈りだけしか私にはありませんでした。
淡々と、淡々と与えられた命でしょう。『生きなさい』っていわれたということは、永山則夫の命じゃないですよ。与えてもらった命なのよね。それを一緒に分け合って生きるのだと思えば、何もいえません。『ごめんなさい』があればあるほど、(船田判決は)大事なんだもの、宝なんだもの。汚したくなかった。遺族の方々に対しても、本当に汚したくなかったの。
と、 ここまで書いたところで図書館の返却期限が来てしまった。
なのでもう手元に本はないのだけれど
差し戻し判決後、しだいに永山との関係が悪化していくなかで、和美さんはたった1度でも永山の手に触れることができたら、何かが違った気がするという。しかし、それはかなうはずもなく、死刑執行後、誰ひとり遺体との別れも許されぬまま、永山はさっさと火葬されてしまう。執行に激しく抵抗したため、全身が傷だらけで、その痛々しい姿を見せまいと、当局は火葬を急いだのだとも言われている。結局、和美さんは永山の「骨」にしか触れることはできなかった。
本書のエピローグとプロローグでは、光市母子殺人事件が取り上げられている。被爆地広島の裁判所で、死刑判決に歓声が起こったことにショックを受けたことがきっかけで、著者は本書の執筆へと踏み出すことになった。エピローグでは犯人との面会の模様も綴られている。
光市の事件や女子高生コンクリート詰め殺人事件のような、人としての尊厳を徹底的に踏みにじる残虐な事件の被害者遺族に向かって、それでも死刑を求めることは間違っている、と言えるだろうか。わたしは正直言えない。けれども、その場合、死刑ははっきりと報復なのであって、ならばそのボタンは匿名の刑務官の誰か、ではなく、被害者遺族と刑の執行の断を下す法務大臣が、自らの手で押すべきだと思う。
重く深い2冊、2番組を完成させて、堀川恵子さんは次はどこへ向かうのか、次回作も読むしかない!
和美さんは現在日本で幸せに暮らしてらっしゃるようで、それが救いというか、この人が幸せに ならないって間違ってるもん。