タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

ハリウッドで初めてゲイであることを隠さなかったスター

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日本ではあまり読んだ人がいないかなと思うのでご紹介します。

サイレント時代からトーキー初期のスター、ウィリアム・ヘインズの伝記です。

タイトルの wisecracker はなんだろな、ぴしゃりとうまいこという人って感じでしょうか。公私ともにウィットに富んだ、辛辣な言葉を吐くことで有名だったビリー(ウィリアム)のニックネームです。

1900年、ヴァージニア州生まれ。14歳でボーイフレンドと駆け落ち。ダンスホール経営。町の大火ですべてを失う。15歳でニューヨークへ。

というほんまかいなの経歴。自らの性的志向を明確に意識し、迷いはないが商売の才覚はしっかりあるビリー君。

ニューヨークのゲイの世界では〝パンク〟として年長者と肉体関係を結び、庇護を得る。

〝パンク〟ってそんな意味もあったのね。

その後、長身と美貌を生かして映画界に入り、スターに。

当時のハリウッドはゲイ&レズだらけ。有名人の名前がいっぱい出てきます。ケーリー・グラントゲイリー・クーパーも男性の恋人と同居していた時期があったそうで、グラントはさておき、ゲイリー・クーパーは意外。しかし、時代とともに映画界の公序良俗コードはきつくなり、恋人のジミーと同居していたビリーは所属会社の社長から別れろと迫られ(「婦系図」か!?)、ほなやめさせてもらいます、と以後いくつかの映画会社で仕事はするものの、結果的には映画界を去ることに。

 しかし、ゴージャスな生活しか無理!な彼にそんなことができたのも、実は彼には俳優以外にインテリア・デザインの才能があったから。アンティークに関する豊富な知識とセンスを生かしたビリーの豪邸に招かれたスターや名士たちは、あら素敵、うちもお願いしたいわ、てな感じで仕事が広がっていき、西海岸に進出してきた新興実業家層のハートもぐっとつかんで、ウィリアム・ヘインズにインテリア・デザインを依頼することがステータス(料金はめっちゃ高!)になるところまで昇り詰めていく。そんな顧客の中にはかのレーガン夫妻も。そして晩年にはロンドンのアメリカ大使館の内装も手がけ、インテリア・デザイナーとしての名声を世界的なものとする。

 と実は、このへんがこの本のおもしろくないところで、ビリーのインテリア・デザインって、贅を尽くした豪邸のためのものなんで、ビリー・スタイルとか言われても、全然興味持てない。つか、金持ちバカやってんなーって感じで、むなしいっつか、ああ、虚栄、どうでもいいわ。

 では、読み応えのあるところはというと、やはり、ハリウッド・ゲイ事情と、一貫してゲイであることを隠さなかったビリーの姿勢でしょうか。

 本書のサブ・タイトルは

 The Life and Times of William Haines, Hollywood's First Openly Gay Star

ですが、オープンと言っても、今とは時代が違うので、〝公然と〟というのとはちょっと違う。ビリーはジミーと、まさに死がふたりを分つまで、半世紀近く同居し、その事実を隠さず、一切の偽装工作をしなかった。それだけで、当時はすごいことだったし、それは彼にインテリア・デザイナーとしての才覚があり、趣味と洗練の極みと見なされる地位を築いたからこそ可能だったのでしょう。

 著者もビリー・ヘインズの最大の偉業はジミーとの半世紀に及ぶ愛を貫いたことだ、と書いていますが、その一方でふたりの愛の内実みたいなことはよくわからない。若い頃はお互い性的には乱脈だったし、ジミーは働くわけでもなく、ビリーのお金で贅沢するのが仕事みたいな生活だった。近しい友人たちにしても、ふたりは夫婦のようなものと見なしていただけで、やはり踏み込んではいけない。でも、まあ、異性カップルだって、その関係の内実なんて他人にわかるんかい?なわけですが。

 結局、ビリーの人生はゲイを隠せと映画界から迫られた一時期を除けば、概ね順風満帆で、お金持ちになった分、親族の面倒もきちんと見て、ジミーとともにゴージャスなヨーロッパ旅行を繰り返し、それを仕事に生かし、70歳を少し超えたところで肺ガンになって、ほどなく亡くなってしまうけけども、ジミーを筆頭に残された人たちが困ることのないよう、きちんと遺言も残した。それでもジミーは1年とたたないうちに後追い自殺をしてしまうのだけれど。

 同じように何十年も養ってきた恋人から、最後は、アル中に愛想をつかされ、突き放されたトルーマン・カポーティを、どうしても思い出してしまいます。