タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

金子文子 『何が私をこうさせたか』

 

塾の課題でした。

 

金子文子に祝福を!

 

 かつて大映ドラマってやつがテレビの連続ドラマ界の一翼を担っていた。ドロドロのメロドラマで、極悪非道の輩が主人公の薄幸の美少女をこれでもかこれでもかといじめ抜く。関東大震災の混乱の中で恋人の朴烈とともに思想犯として捕らえられ、獄中縊死した金子文子の自伝『何が私をこうさせたか』は、400頁余のうち約半分がまさに大映ドラマ。読んでいるうちにだんだん、肉親の情とか、あれ全部噓だな、神話だな、とさえ思えてくる。親類に引き取られた朝鮮での生活があまりに陰惨で、植民地の金持ち日本人サイテー、あと何ページ朝鮮生活続くんだと目次に戻り、なんとか〝性の渦巻き〟の章まで行けばドロドロでも救いはあるんじゃないか、自由もあるんじゃないか、たどり着いたら性の渦巻き、それを頼みに耐える。

 が、奔放なようでいて、意外や性に関する筆は抑制の効いている文子。たいして渦巻かない。結局叔父との関係もはっきりしないし、年表には <性暴力を受ける> と記されている一件も曖昧な書きぶりだ。男性との肉体関係が明示されるのは、実家近くの映画館でナンパされて交際が始まり、東京で再会した不良学生との p360 <その夜私は、いつものように、一組しかない蒲団で瀬川と一緒に寝た。> が初めてである。しかし、自らの母を <一人では到底生きて行けない性質(たち)の> 支えてくれる男が必要な女と評する文子もまた、叔父、瀬川、キリスト教徒の伊藤、韓国人留学生玄と、次々に手近な男を支えにしていく。文子自身、母を責めようとは思わないと記しているが、確かにこの時代、彼女や彼女の母のような徒手空拳の女が生きて延びていくのに、ほかに道があっただろうか。

 それでも、文子は <私達自身には私達自身の真の仕事があり得る> はずだと考え、それをしたいと切に願う。そして、彼女は出会うのだ。一編の詩に惚れ込み、一度会ったきりの男に確信する。<私の探しているもの、私のしたがっている仕事、それはたしかに彼の中に在る。彼こそ私の探しているものだ。彼こそ私の仕事を持っている。> 曇天さもなくば暴風雨人生に光が満ち、文子はまっすぐ突き進む。<私は単刀直入に言いますが、あなたはもう配偶者がお有りですか、または、なくても誰か……そう、恋人とでもいったようなものがお有りでしょうか……> なんと初々しく可憐な告白だろう。食うにも事欠くほどの貧困も、大人たちの虐待や強欲、醜態も、男たちの打算に満ちた性欲も、金子文子の核心を汚すことはできなかった。彼女はまっしぐらに運命の人のもとへ飛び込む純情を失わなかった。23歳の文子の死を哀れとは言わせない。彼女には誰にも奪うことのできない至福の日々の記憶があったはずだから。これもひとつの幸福な人生である。