タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

影裏

影裏 第157回芥川賞受賞

 

塾の課題です。好き嫌いで言ったらはっきり嫌いです。

 

ふりかけ?

 <次の人とのつき合い方にはちょっとした配慮が必要だった> 唐突にこんな文章が出てくる『影裏』(沼田真佑「文藝春秋 2017.9」)とのつき合い方にも、ちょっとした配慮、いや忍耐が必要だ。〝次の人〟ってなんだよ? 慌てるな。それはほどなくわかってくる。

 <車は夏の盛りに井上喜久雄氏がシャベルの裏を返して地均しに励んだという一画に停めた。>〝井上喜久雄〟って誰? 当然知っていてしかるべき人? いやいやほどなく、普通の爺さんとわかる。それならなぜ、最初にいきなり説明もなくフルネームで出してくる? 意味はない。たぶん。要するにこういうやり口が、思わせぶりが好きなのだ。あ〜めんどくさい。

 『影裏』は手法としてはごくオーソドックスな、純文学臭ぷんぷん作品だ。なにしろ基本、おもしろいことは何も起こらない。で、純文学ってそういうもんだとは私は口が裂けても言いたくないけれど、この純文学でござる作品には上記のような手口しかり、時間軸の組み立てしかり、意図的に説明を省いた思わせぶりが満ちあふれている。むしろ、思わせぶりのない段落を探せ、と入試問題に出したいくらいでござる。

 さらにヴォキャブラリーつか表現つか……<明快な円網>、<用談>、<夕景の支度がととのっていた>、<川づたいの往還>、<喉を縦にして美味そうに飲んだ>、<眉に溜まった汗の滴は指先でつまんでそのへんに捨てた>……冒頭から2ページほどをざっくり見てもこれだけの、私の心に小さなささくれを作ってくれちゃうひっかかり……。喉を縦に、って当たり前やがな、と思わず突っ込みたくなる大阪人の魂であるし、汗を指先でつまんで捨てるって、そもそも人はそんなめんどくさいことをするものか……。

 こんなささくれジャングルの中で元カノの名前が副嶋和哉とくると、またややこしい名前つけくさって、なのだが、これが<性別適合手術を施術するつもりだと>公言ではっきり男性と知れ、が、<記憶の中の面影と合わない、穏やかな女性の声>は口調も女性で、元カノが通常女性として社会生活を送っているのか、送っているとすればいつからなのか、主人公はいわゆるゲイなのか、またも怒濤の思わせぶり攻撃のうちに……。  本書の話題の中心であった、主人公の親友とも言うべき日浅が震災で行方不明となり、彼と父との絶縁が明かされ、この父親の怪しくも冷酷すぎる態度がまたまた思わせぶりで、LGBTも震災も、純文学思わせぶり丼に、はらりまぶしたふりかけさながら。あ〜辛気くさ。思わせぶりがゲイと、いや、芸となる作品もあるのだろうが、こいつは魂に触れないなあ。

 と、芸 / ゲイは、変換が引き出したのだけれども、ふとこれは、俺はゲイなんだ〜!の魂の叫びを、おずおずと思わせぶりの渦巻きに練り込んだ、迷走型カミングアウト小説かもと思う深夜。〝結婚〟や〝結婚式〟への妙なこだわりもそこ? ゲイだって互助会で結婚式挙げて結婚したいのだ、と。むむ。

 

 迷走型カミングアウト小説路線で行ったほうがおもしろかったかも、と先生の評。でも、正直、私にとって深読みしたくなるほどの魅力のない小説でした。とにかく自意識過剰な文章の気取りが鬱陶しくて、これをうまいというってどんなセンスやねんと。

 日浅サイコパス説を出してきた人がいて、その筋でいくと父親の過剰な嫌悪とかも合点がいく。大勢で鍋を囲むような読み方の利点ですね。