タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

ハイジ

新訳版 ハイジ 1 (偕成社文庫)

新訳版 ハイジ 2 (偕成社文庫)

 

もちろん塾の課題です。

〝多様な読みができる作品〟と言われてもなあ……だったのですけれども

 

 

世界を動かなくするために

 

 『アルプスの少女ハイジ』と言えば、干し草のベッドに丸窓から見える星、ヤギのミルク! 今回『ハイジ』(1.2. 偕成社文庫 ヨハンナ・シュピーリ作 若松宣子訳)を再読してみて、干し草のベッドと丸窓の星とヤギのミルクにワクワクは変わらなかったけれど、あとはなんだかな〜の嵐である。私のアルプスは暴風雨圏内に突入だ。今、大人がこの本を読む意義、がとんと浮かばない。困った。

 以前インドネシアの小さな島でダイヴィングで一緒になったスイス人女性(アラサー)が「スイスの男は保守的で、女は結婚したら家庭に入るのが当然と思っている」とこぼしていて、へーっスイスってそうなんだと意外だったけれど、そう語る彼女のバンガローの狭いベランダのテーブルには、小型スピーカーだのコーヒー沸かしだのなやかやがびっしり並んでいた。「こうやっていろいろ持ってきておけば、家にいるのと同じように快適に過ごせるでしょ」と当人はご満悦だったが、私は内心、家にいるのと同じように過ごしたいなら旅に出なくていいだろ、こういうのこそ本質的保守だろ、なんて思ったりして。

 で、なんか『ハイジ』にはこの〝世界を動かなくする / 保守〟があふれてる。(立派な保守の方、すみません。)まずはおじいさん。ほぼ自給自足生活。この暮らしぶりなら、近隣で原発事故でも起こらない限り、何があっても生きて行ける。誰にも迷惑かけてない。無愛想なだけだ。ほっといてやれよ、同調圧力かけるなよと思う。じいさんもあっさり改心するなよ。骨がないなあ。

 次にハイジ。天真爛漫ないい子だったのにねえ。都会の絵の具(ばあさんのキリスト教)にどっぷり染まって、イヤなやつになった。ペーターを震え上がらせた恫喝アルファベット教育に、<あたしたちは毎日神さまにどんなこともお祈りしなくちゃいけないの。だって、あたしたちは神さまのお恵みで生きていることをちゃんとわすれていませんって、伝えなくちゃいけないもの。><お祈りがかなわなくても、神さまが話をきいてない、なんて考えてはいけないし、お祈りをやめてもいけないの。そうではなくて、こんな風にお祈りしないといけないの。神さま、神さまがもっといいことをお考えだと、わかっています。よく取りはからってくださるので、うれしいですって。>アルプスの少女は奴隷根性布教の先兵と化した〜。(キリスト教徒の方すみません。)

 そもそもこの物語では、金持ちはクララの父も祖母も知的で心が広く、貧乏人を見下げるどころか大盤振る舞いの、まったき善人として描かれる。<ワルモノ>役はよりよい仕事に就くためにハイジをおじいさんに押しつける叔母のデーテ、ゼーゼマン家の家政婦のロッテンマイヤー、侍女のティネッテ。今より上を目指す者と、富裕層の家で安定した職を得て、下を見下すようになった人たちだ。この構図、とても気持ちが悪い。しかも全員女かい。

 本書が放つメッセージは1.アルプスは山の暮らしは素晴らしい。2. 都会はダメだが、その都会を作った金持ちは立派だエラい。3. 貧乏から這い上がろうとする者、ほんの少し這い上がった者はたいてい根性が曲がっている。4. 貧乏人は日々神さまにありがとうごぜえますだと感謝して、金持ちの施しにも感謝して、身のほどを心得て暮らせ。

 ばあさんは私のあこがれの干し草のベッドを蹴散らし、屋根裏に本物のベッドを押し込んだ。ああ、腹が立つ。

 

じいさん、デーテ、ハイジをゼーゼマン家をカモにする詐欺師ファミリーと見立てた方や、都会から帰ったハイジが下らないキリスト教道徳をふりかざしたために、筋金入りの〝主義者〟であったじいさんの自我が崩壊した説など、ほんとにいろんな読みが出てきました。懇親会ではハイジとペーターがゼーゼマン資本でアルム・リゾート開発なんて妄想も出現。ネット上では〝ロッテンマイヤーさん萌え〜〟などというものもあるそうで、ネットってやつぁ。私の感想は上記の通りですが、この時代のスイスには興味が湧いたので、センセに教えてもらった本を買ってしまいました。また本増えた〜。

 

図説 アルプスの少女ハイジ (ふくろうの本/世界の文化)