タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

アイヌと縄文

アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書)

塾の課題です。

これはもう先生に激叱られるかも〜とビビって提出しました。

 

猛烈に、残らない

 

 近年稀に見る苦悶読書。瀬川拓郎『アイヌと縄文』は、なんつーかー、列挙される事実が右から左へ抜けていく〜引っかかりません、するする。なので、知識もあまり残っていかないし、かといって、なんじゃこりゃつまらん!という怒りも湧かない。世の中にはこれにワクワクする人もきっといるのだろうなあ、ああ、私の頭が悪いのか、全部おいらが悪いのか、ジャンジャラジャンジャラジャ〜ン♪。(古いっ)

 それでもまあ、スタート地点が圧倒的無知なので、北海道に平和に暮らしていた人たちが、悪い和人に騙され差別されて隅っこに押し込まれた、という超低レベルのアイヌ認識、独特の衣装、楽器、木彫り、熊、鮭、入れ墨といったベタなイメージからは、少しは引っ張り出していただけたかなと。あざすっ。

 とはいえ、皮肉にもいちばん心に残ったのは <つまり縄文文化の巨大な土木遺産は(中略)集団が集団のために産みだした遺産であるという点で、縄文文化としての特色を示すものなのです。そしてこの遺産が、聖域や祖霊を祀る場という祈りや心にかかわるものであった点にこそ、本質的な意義を認めることかできそうです。縄文文化は「心の文明」といえるものなのです。> ここ、感動するとこでしょうか? 私は正直、気持ち悪かったです、「心の文明」。ほな、他の文明は何やねん。著者はその後しばらく、自分の言葉に酔ったかのように「心の文明」をしつこく繰り返し、私はゲロゲロ。話が縄文以降に移って、さすがに出なくなったけど、結びにはまた絶対出すぞと思っていたら、今度は<原郷=縄文>がお気に入りの連発で、忘れられちまった「心の文明」。なんだかなあ。

 あと凡例とか一切なしで平気で(小杉二〇一一)とかはさんでこられるのも、えーっ何これ、何これ、そりゃそのうち気づきますけど、こういう無神経、ストレスだわー。揚げ足取りかもしれませんが、こんなとこで読者いらいらさせるなよー、と私は縄文の中心で叫びたいわ。

 曲がりなりにも書評をめざすなら、なぜ本書の記述が私の中を素通りしてしまうのかの分析を試みるべきなのでしょうが、いかんせん、再読はプラスチックの塊を食えと言われるようなもので無理。強いてひとつ挙げれば〝縄文ひいきの引き倒し〟がかえって、交易などの興味深い事例の魅力をそいでしまう点でしょうか。で結局、縄文もアイヌもいまいちよくわからない。ヒロキの中に残ったのは<縄文は「心の文明」>という気色悪いキャッチフレーズだけであった……というのは嘘で、孤立語の話はちと気になりましたけれども。

 

 意外や先生は、激辛、迫力あり、興味のない本を下手に救っていないのは天晴れとのご評価。都合の悪い部分は割愛しましたが、〝天晴れ〟いただき〜。他の受講生の方の評判もけっこうよかったです。人の心はわかりませんね。あ〜も〜わからん。わからん。