タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

同志少女よ、敵を撃て

 

塾の課題です。

 

イリーナは女の顔をしていない、つか、なんなら人間の顔もしていない。

 

 イリーナ。第二次世界大戦中のソ連軍女性狙撃兵の「活躍」を描く逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』において、準主役とも言える指導教官。登場シーンはこうだ。<カーキ色の軍服を見事に着こなし、制帽を被った、黒髪の女性だった。/ 瞳の色も黒く、肌は対をなすように白い。精悍な顔立ちに、細身の体。それでいて屈強な兵士たちに比べても遜色のない長身の、おそろしく美しい女性だった。> 主人公セラフィマが自分を除く故郷の村人全員をナチに殺されたと知った直後である。美貌長身兵士はセラフィマに「戦いたいか、死にたいか」の二者択一を突きつけ、家財を破壊し、思い出の写真を窓の外に投げ捨て、彼女の母の遺体に火を放つ。この暴挙によってセラフィマの胸に怒りと憎しみと復讐の大火が発生し、兵士となって敵を討つ、この女イリーナも殺すという決意が生まれる。これがイリーナ式狙撃兵製造法。「普通の少女」を兵士へと改造するメソッド。26歳、ときどき美貌と出てくるので思い出すが、いつもぞんざいな男言葉だし、つい頭に浮かぶのはいかついおばちゃん。〝美貌〟と書いておけばその人物は読者のイメージの中で美貌の相を帯び、動きだすのか。説明的な描写でレッテルを貼ればキャラクターは完成か。

 イリーナは一切、自己弁護はしない。捨てたはずの写真はとってあって、物語の終盤でセラフィマの下へ同僚兵士を通じて戻ってくる。母の遺体や家を焼いたのも疫病を防ぐためだったとわかる。そして、彼女は悟るのだ。イリーナは娘たちに二者択一を迫り、<戦うと答える者に戦いを教え>、自分のように<死を望んだ者を再起させ>、両方を拒む者には別の道を示したのだと。憎悪すんなり解消。しかし、私は言いたい。ちゃんと自分で説明して、謝るべきところは謝れよ、イリーナ。養成学校でいちばん感じのいい子から、早々に秘密警察のスパイと判明するオリガも同様だ。一変、残忍な笑み、陰湿な目。その後はずーっと絵に描いたような悪役ぶりで、最後はこれまたありがちの主人公を救って命を落とす。このキャラクターを支えるものとして提示されるのは〝コサックの誇り&怒り〟のみ。オリガが気の毒になる。

 何のために戦うのか。なぜソ連は女性兵士を前線に送ったのか。戦時性暴力はなぜ繰り返されるのか。そもそも戦争とはなんなのか。根源的な問いを繰り返しつつ、物語は進み、戦闘が描かれていく。そこは確かに新人離れした力量なのだろう。でも簡単に答えが出るはずのない、そうした問いの逐一が、どこか単純化されてしまっている印象がぬぐえない。クライマックスにセラフィマに〝敵〟として撃たれる幼なじみのミハイルの醜い変貌ぶりもまた、道具立てとしてしかキャラクターを使っていない感を強める。

 そして結末はなんと……。伏線はあった。序盤、君の戦争はいつ終わると問われたイリーナが、自分の知る誰かがその戦争体験を <ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、ただ伝えるためだけに話すことができ> たときだと語っている。あざとい。伏線もその回収も興醒めだ。