タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

『東京プリズン』赤坂真理

東京プリズン (河出文庫)

 

塾の課題です。

提出したのは↓

 

みんな猿

 

 赤坂真理『東京プリズン』は、ものすごくざっくり言ってしまうと、アメリカの高校に留学した16歳の少女が、『天皇には戦争責任がある』という論題のディベートを強いられる話だ。それだけで十分ヘビーだけれど、この小説はさらに、主に電話と夢を媒介に時空を駆け巡り、狩りで殺して食べたヘラジカと合体、母親になって娘の自分と会話、天皇とも融合、ヴェトナムの結合双生児に批判され応援され、アリスばりに鏡の向こうへ出入り、日米文化比較、日米言語比較、戦後日本史、戦後日本精神史、3.11、そしてもちろん、天皇とは? 戦争とは? ともうスーパーてんこ盛りの〝大きな〟小説だ。

 そんな小説全体を貫くもののひとつに〝性〟がある。主人公マリはこの小説の中で2度レイプされそうになるが、そのどちらでも、奇妙な反応をする。「せめてセックスが自発意志のようにふるまうしかプライドを守るすべはない。」「こわいなら、自分で望んだかのようにするしかない。」マリは16歳でまだ性体験もないのに、なぜこういう発想に?とずっと心に引っかかる。すると終盤、ディベートの場面でその答えが提示される。「私の国の人たちは(中略)男も女も、男を迎える女のように、占領軍を歓迎した。多少の葛藤はあったとしても、相手に対して表現せず、抵抗も見せなかった」マリの反応はまさしく、占領によってアメリカにレイプされる日本の、最低限のプライドを守るための身の処し方を、なぞったものだった。マリの母が終戦のとき16歳という設定も重なって、彼女が、母が〝日本〟なのだ。それは、当時の母となったマリが占領軍の将校にキスされたときの、「なぜ何度も、自分を娼婦のように感じなければならないのだろう。私も母も、そんな女ではないのに」というつぶやきとも響き合う。

 さらに、森の中で大君の棺を担ぐという小さな人々(こちらも七変化するけれど、ここではもろ八瀬童子)と出会ったマリは、大君とは空虚である、(もろロラン・バルト<注>)と教示され、小説の中盤では吉本隆明が『共同幻想論』で描いた大嘗祭の祭儀のありようをほぼそのままなぞって、女として床入りし降臨した神と交わるか、と思ったら、男のような女のようなアメリカのようなものに組み伏せられた、かと思ったら、組み伏せ、征服し、射精したのはマリのほうで、と思ったら、「同時に何かが私に侵入してくる。それも圧倒的な快感。流出と侵入さえ区別がなくなる。私は剣になる。私は器になる。」「私だったもの、他者だったもの、そんな境は今はない。私たちはただ寝具の中の液状の生命のようなもの。」とまあとにかく一体化して、大嘗祭ですから、皇位継承

 小説家とはつくづくすごいものだ。天皇を戦争を考えるのに、自分の肉体で天皇にも日本にもなってしまう。なって体で考える。「万世一系、先祖はみんな猿」と坂口安吾は言ったけれど、あなたも天皇、私も大君。八百万の神&天皇。ピース!

 

<注>『表象の帝国』(平凡社ちくま学芸文庫

 バルトは「真理の場」として充実した西欧諸都市の中心に比して、東京の中心、皇居、ひいては天皇を、「空虚の中心」と描き出した。「空虚な主体にそって、[非現実的で]想像的な世界が迂回してはまた方向を変えながら、循環しつつ広がっているわけなのである。」

 

 字数の制限で盛り込めなかったけれど、この小説に出て来るヴェトナムの結合双生児って、もろ萩尾望都の「半神」。加えて、私と母も双子、今の私と16の私も双子、父も双子の片割れ、天皇とアメリカも双子(!)と、全編にちりぱめられた、双子、双子、双子。

 

 他の受講生の方の指摘では、全編、箱と器だらけというのが面白かった。言われてみればその通りで、しかも箱/器は「プリズン」にも「女性器」にも通じている。

 それから、実際の母と和解できないので、自分が母親になって16の娘=自分を守る、という指摘もお見事。そうだよねー、そうだわ、これ。

 

 そして、笑えたのが、ディベートを終えて、小説を締めくくる最後の一文。

 

  吹雪いていた空が晴れ、窓から、氷を割るように陽が射した。

 

 これ、まんま、斎藤美奈子『名作うしろ読み』の〝小説の終わり方パターン〟●風景が「いい仕事」をする終わり方●じゃないすか。

 

 小説でもノンフィクションでもエッセイでも、最後に風景(音の風景を含む)が描写されると、あら不思議、急に「文学的!」な雰囲気がかもし出されるのだな。

 

 ベタ、とも言う。わざと? ギャグ? そもそもこの一文いる? 本気で「文学的!」に終わりたかったの? 謎だ。力作なのにもったいない。

 

 ちなみにもう一箇所、大君がさまざまに変化していくなかでついに……「母上!」と「私」が呼びかけたときには、思わず、武士か!と突っ込んでしまいました。ま、大君に〝母さん!〟はないんだろうけどさ。

 

 いろいろちゃちゃ言っちゃいましたけど、天皇制へのユニークなアプローチです。答え出し過ぎの感はあるけれど。そいで実は母子関係はちっとも片づいてないんだよな。あ、また文句言ってしもうた。