タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

武蔵野夫人

武蔵野夫人 (新潮文庫)

塾の課題です。課題でなかったら一生読まなかっただろうなあ。

提出したものは↓

 

金のために死す

 

  大岡昇平『武蔵野夫人』は敗戦後間もない東京郊外で展開する5角関係の心理を、ときおり評論家めいた論評を差し挟みつつ、ナレーター(地の文)が腑分けする小説だ。

 5角その1:秋山道子。美貌の武蔵野夫人29歳。熱中癖あり。「古風」というよりコンサバの、囲いの外へ思考の広がらない女。

 その2:秋山忠雄。41歳。道子の夫。大学の仏文教授。専門のスタンダールにかぶれている。妻の体に飽き浮気に走るのに〝持ち前の吝嗇と花柳病に対する病的な恐怖から(中略)安全かつ金のかからない〟近所の人妻、富子を狙うという下衆野郎。日本文学史上屈指のせこい誘惑者。

 その3:大野英治。40歳。道子の従兄弟。戦後の混乱に乗じてぼろ儲けしたものの、実は経営センスのない実業家。エロい妻が自慢。

 その4:富子。英治の妻。生来の妖婦(ヴァンプ)だが、彼女なりの一貫性はある。内心道子を小バカにし、勉を狙っている。

 その5: 道子の従兄弟、勉。24歳。男版道子の美貌を持つ復員者。他の4人にとって戦争が「外的」な事象でしかなかったのに対して、4年間の戦場での体験が心身に沁みついている勉は、道を歩いていても〝ぱっとビルマの原野が展けるような〟思いに襲われ、今も兵士の習慣から自由になれない。その感覚の生々しさは、戦場の内実を読者に突きつけてくる。しかし、彼が童貞を失った逸話、〝従軍看護婦が強制されて兵士を慰問した〟という胸の痛くなる記述のあとに続くのは〝食糧のために羞恥を捨てる女の髪の臭い〟、〝醜い娘の汗臭い髪にビルマ山中の茅屋の異様な感覚を思い出す喜び〟と、これも戦争のなせる技、ですませていいのかの人非人ぶり。

 道子と勉、秋山と富子の、純愛風となしくずしの不倫の両輪に、勉と富子の二股不倫、さらには大野の事業の失敗も重なって、物語は悲劇的な結末、らしきものを迎える。分析の刃は鋭い、のだろう。個々の人物の心理の展開にはそれなりに説得力がある。そして徐々に「金」がこの5角関係の重要なファクターとなっていく。大野夫妻の関係は大野に金がなくなったことによって破綻し、秋山はそこにつけこんで金で富子をつなぎ止めようとし、富子は意外や殊勝にも手に職をつけて自立を目指そうかなどとも考え、離婚を迫る夫に財産をそっくり持って行かれたと思い込んだ道子は、勉に金を残すため、あっさり自死する! まさかの展開。

 「妻」業以外の発想のない女が妻でなくなり金もなくなり、金がなくては若い勉をつなぎとめることはできないと絶望し、せめてはお金だけでもあの人に……って死んでも全然美しくないんですけど。どんだけ拝金主義? これならまだ〝あたしに意見なんかあるわけないじゃないの。女ですもの、あたし〟と開き直る富子のほうがカッコいい。

 「武蔵野夫人のような心の動きは時代遅れであろうか」とお尋ねなら、時代に関係なくトンチンカンだと思います、とお答えしたい。

 

 最後の一文はエピグラフ

〝ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代遅れであろうか〟

 に呼応しておりまする。

 

 コメントでも講座の現場でも、先生にしきりと「恋愛に夢をもちすぎてない?」、「恋愛を美しいものだと思っているでしょ」、「ロマンティックなんだよね」と言われる。確かに私は〝夢見るロマンティックおばさん〟だが、なんで↑でそれがバレちゃうのか、不思議。なのは当人だけ?

 

 勉の血肉を支配する戦争体験のリアリティが強烈だったので、大岡の戦争ものを読まなくちゃと思います。