タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

わたしの「女工哀史」

わたしの「女工哀史」 (岩波文庫)

女工哀史』の装丁、カッコいい!

 

もちろん塾の課題です。

 

あらくれ☆ビフォー・アンド・アフター

 

  私は小学2年から6年まで延々と、通知表に〝自我が強い〟と書かれ続けた。「悪いことじゃありませんよ」と親に言った担任もいたけれど、自己主張の強いイヤなやつと言われ続けている気分だったぜ。すかたん。高校生のとき、教科書に載っていた茨木のり子ペンネームの由来を語る文章に <切られた腕を取り戻しに来る茨木童子の自我の強さが気に入った> 云々とあり、初めて別に自我が強くてもいいんだと思えた。自我の恩人、茨木のり子。 

 さて、『わたしの「女工哀史」』。夫にはさっさと先立たれるわ、ベストセラーの印税は悪いサヨクに騙しとられるわの、薄幸気の毒人生が綴られているかと思いきや、著者高井としをは徳田秋声『あらくれ』の主人公さながらの自我最強。自我先輩! 貧困の中、10歳!で親元を離れて紡績女工になって以来、一匹狼で、女のくせに生意気と言われても言いたいことはずけずけ言い、職場を転々としながらのその日暮らし。計画性はまるでなく、貧乏なくせにちょっとお金が入るとすぐ贅沢に走るすかたんだ。まるで自分を見ているようで好感が持てるぞ。

 そんなあらくれが『女工哀史』の細井和喜蔵と自称〝友情結婚〟をして、素敵な主夫をゲット。しかし、主夫はすぐに死んじまい、子供まで死んじまって、しかも和喜蔵の印税が少々入ったものだから、やけくそあらくれ中〜、に労働運動家、高井信太郎と出会い、それがすかたんなスキャンダルとなる。するととしを、夫と子供を次々亡くした失意のどん底で、やっと頼れる人ができたというのに、なにもかもいやになったとひとり出奔。一匹狼魂を炸裂させる。

 しかし、高井と再会、再婚し、大勢の子供をもうけ、次々と亡くし、戦後ほどなくまたも夫に先立たれる流転の中で、としをは大きく変貌していく。ひとりあらくれから、労働者〝仲間〟を代表しての対権力あらくれ、シングル肝っ玉おっかあ世話焼きあらくれだ。

 果敢に戦い、仲間のためにもさまざまな権利や保障をぶんどるように獲得したとしをだったが、生涯最底辺の労働者の境遇から脱することはできなかった。時代のせい? 学歴がなかったから? 女だったから? これがもし男なら、彼女ほどの指導力、行動力、才覚があれば、なにかしら浮上の道もあったのではと考えてしまう。

 スキャンダルで東京を捨てて以来、としをの生活の場は関西となるが、大阪がニューオリンズなら尼崎はメキシコと言われる(ホンマかいな)界隈の土地柄を背景に、としをとともに働く当時の関西の庶民の話し言葉が活写されている。<すかたん> 久しぶりに聞きました。この素敵な罵倒語もほぼ死語だ。寂しい。のでとりあえずちりばめてみました、すかたん。

 

 〝友情結婚〟なんて奥歯にもののはさまったような言い方からしても、としをは細井和喜蔵にはあんま惚れてなかった説を唱えたところ、「私もそう思う」と先生から賛同ゲット。同じ階級から出たインテリ&文士へのあこがれ + 生来の世話焼き魂が病弱貧乏を見て燃え上がったのではないかと、憶測をめぐらすヒロキです。