タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

砂の女

砂の女 (新潮文庫)

塾の課題です。

けっこういけすかん作家のはずだったのに、意外やおもしろかった。

 

虫採りが虫採られ虫の男

 休暇で昆虫採集に出かけた男が失踪し、七年後、妻の申請により死亡の認定を受ける。実はその男は砂漠の村の穴の底で、幾度か脱出に失敗、現状依然砂掻き中、というのが安部公房砂の女』である。

 男は新種の昆虫発見を目論んで砂漠を訪れ、いとも簡単に野卑な村人の策略にはまって、砂の中に埋もれようとしている家々の一軒の、砂掻き要員にされてしまう。独白の中でさまざまな知識を開陳し、砂についての考察をめぐらせていた理屈っぽい男は、案外まぬけだったのだ。一人前の人間を昆虫みたいに罠にかけて捕らえるなんて、と憤慨するが、もちろん、ああ今まで自分がさんざんやってきたことの報いか、などとは考えない。それどころか、ただ黙々と砂掻きをする家の女の <後ろ姿を、虫けらのようだと思う>。虫けら大好きで、その虫けらのために砂漠へ来てこんなことになったくせに。男は教師なのだが、<教師くらい妬みの虫に取り付かれた存在も珍しい>と語り、水のように砂のように流れ去っていく生徒たちに対し、その流れの底で、教師だけが取り残されると嘆くが、これは囚われた男の現状そのままだ。女のさそいを<食肉植物の罠>と感じる男は、まさに虫である。もう虫決定。

 じゃあ、女はなんなのだろう。村人からは婆さん、と呼ばれていたが、男の見立てでは30前後だ。最初の朝の、顔に手ぬぐいをかけて全裸で寝ている姿、天井から漏れ落ちる砂に覆われた裸身の曲線は、まさに砂丘だろう。物語の中盤では村人から〝おかあちゃん〟と呼びかけられている。餌の虫を捕らえて若返ったか。妖怪か。男の目には、隷従を隷従と感じず、外界に関心がなく、ただひたすら〝家〟を守ろうとする存在のように映っている女だが、むしろ女自体が変幻自在の砂のようにも感じられる。なにしろタイトル、砂の女。だからこそ、女が穴から運び出されてしまうと、男は逃亡の意志を失ってしまったのかもしれない。(しかし、溜水装置。人は水のみにて生きるにあらず、と男に言ってやりたくなる。)

 そして、もうひとりの女、都会の女、たいてい傍点付きで〝あいつ〟と呼ばれる女。男には妻がいるはずだが、この〝あいつ〟をすんなり妻と受け取るには無理がある。男は下宿住いで、休暇に出る前にあいつに手紙を書き、投函せず机の上に置いてきた。やや苦しい設定だが、別居中の妻? あるいは〝あいつ〟が男の知らないうちに勝手に婚姻届けを出していた? 結婚の本質を<未開地の開墾>とする男に対して<手狭になった家の増築>と反論する女は、もはや〝砂の女〟と半分重なっている。失踪→妻の申請→死亡決定という物語の外側の大枠までもが砂でできていて、さらさらと角から崩れていくようだ。

 家のあらゆる隙間から入り込んできて、身体のあらゆる隙間に入り込む砂さながら、この小説世界もまた、踏み入ればずぶずぶと呑まれて底が知れない。砂遊びの地平は広大だ。砂砂砂……じゃりじゃりじゃり……。